2004.7.04: 独立記念日
今日はアメリカの独立記念日です。
アメリカ国民なら自由と解放を喜ぶ日です。
アメリカ政府は、この自由と解放を私達に得させるために様々な法律を今日も作っています。その全ての法律が本来の目的通りに機能しているかは専門家の判断に委ねることにしますが、あなたは聖書の律法に関してはどうお考えになりますか?
今日の独立記念日をあなたのキリスト教信仰の樹立記念日として以下のことを私と考えてみて下さい。
神様は律法を通して、人間に罪を知らせ、その生活の堕落から人間を聖い道に歩ませようとなさいました。しかし人間の多くは、神様が律法で罪を示しながら救い主へと誘導して下さる(ガラテヤ書3章24節)その配慮に息苦しさを感じて律法を捨てようとしました。律法を無視すれば、人間は何をやっても許されると勘違いし、罪には鈍感になります。次いで罪に無感覚になれば救い主だっていらなくなります。あなたが罪意識を感じなければ、そこからの解放を救い主に求めなくなるからです。
さてイエス様は聖書の律法を廃棄されたのでしょうか?
いいえ、そんなことはありませんでした。キリストは律法の民の中に生まれ、律法が目指す姿を、律法下にある人間にこの地上で生きて見せて下さいました。ローマ書10章4節でパウロはこう述べます
「信じるすべてに義をもたらすために、キリストは律法の目標であります」(新共同訳)
聖書の律法が罪を戒め罰を語る時、そこには私達をキリストの姿に似せて聖なる者へ造り変えたいという神様の意図が隠されています。勿論、イエス様以外に律法を守り通せた者はいませんし、誰も自分のキリスト(救世主)になることはできません。律法が目標にするキリストを信じ、罪から離れてキリストの中を歩む時に、あなたは初めて自由と解放を経験するのですよ!
あなたと私の住む地域は異なるかもしれませんが、もしあなたがこの地上の法律に悩む時があるなら、それによって造られる秩序を同時に考えてみるのも良い機会かもしれませんね。そして今日は、あなたに善悪を知らせ罪を戒める聖書の律法(十戒など)をむしろ読みながら、あなたの魂に自由と解放を賜って下さるあなたのキリスト、イエス様を仰いでみてはいかがでしょうか?