2006年11月5日(日)の聖日礼拝で、山口光師は、「使徒行伝15章1-21節」を中心聖句とし、「恵みによる救い」と題して、メッセージを取り次いで下さいました。
その前に、本日はキッズ・タイムがあり、若者を含めた子供たち8名も礼拝堂に集まり、山口光先生が「ルカ伝15章3-7節」の絵本(百匹の羊のうちいなくなった1匹の羊を、羊飼いが捜して見つけ出し、その羊をかついで帰り、皆と喜びあったというイエスのたとえ話の絵本)を見せながら、日本語と英語で説明し、「神は羊飼いのように、皆を大切に育て、守り、救い、祝福して下さるのです」と感謝しました。続いて、山口喜恵夫人も加わり、「さあ さんびしよう」の賛美歌を、日本語と英語で書かかれた歌詞を見せながら、皆で歌い、「救いの岩」である主イエス・キリストを讃美しました。
今日の聖書箇所では、紀元49年頃にエルサレム教会で開催された、世界的なエルサレム教会会議の様子が記されています。パウロらの第1回伝道旅行(紀元46-48年)からシリヤのアンテオケ教会に戻り、異邦人達も、主イエス・キリストを信じる信仰者になったことを、皆に報告し、弟子たちと過ごしていました。しかしその頃、ユダヤからアンテオケ教会に来た人々が、「割礼を受けなければ救われない」と教えており、彼らとパウロやバルナバ達との間に激しい対立と論争が起こりました。その結果、アンテオケ教会からエルサレム教会に派遣されたパウロとバルナバは、エルサレム教会員達と使徒達(元イエスの十二弟子と呼ばれる人達ですが、当時は、既にイスカリオテのユダは自殺し、「ヨハネの福音書」の著者であるヨハネの兄弟であったヤコブは、ヘロデ王の迫害で紀元46年頃殉教し、代わりにマッテヤが使徒に選ばれたので、合計11人で、その代表はペテロ)と長老達(現在の理事達や執事達に相当し、その代表は、マリヤから聖霊によって生まれたイエスの弟で、ヨセフとマリヤから生まれた息子のヤコブでした)との話し合いがなされ、それがエルサレム教会会議となったのです。
その会議で、割礼派(異邦人も割礼を受けなければ救われないと主張する組)と無割礼派(異邦人で割礼を受けない者でも、救われると主張する組)に分かれました。どちらの組も、クリスチャンであり、イエス・キリストを信じる信仰においては一致していました。しかし、割礼派の者達は、以前はパリサイ派などのユダヤ人であったが、信者になった者達で、割礼とは、神の選民として神との契約の印であるとか、衛生上のことや、宗教上の儀式と見なし、割礼は救いの条件であると主張しました。一方、無割礼派の者達は、人が救われるのは信仰のみによるのであって、割礼などの習慣をもたない異邦人に、割礼を救いの条件として強要する必要はないと主張しました。
このように、割礼派と無割礼派との間で、激しい論争があった後、使徒の代表であったペテロは立ち上がって、皆の前で、自分の経験を通して、「神は、割礼のない異邦人にも、割礼のあるユダヤ人と同じように、聖霊を与えて、信仰によってきよめて下さり、主イエス・キリストの恵みによって救って下さったのです」と力説しました(使徒行伝15章7-11節」)。また、パウロとバルナバも、自分達のトルコ系やローマ系の異邦人への第1回福音伝道による救いを証しをし、割礼派クリスチャン達を諭したようです(使徒行伝15章12節)。恐らく、そのパウロらの証しの中には、「ガラテヤ人への手紙2章11-21節」に記されていることも話したでしょう。それは、「ペテロが、ユダヤ人のいない所では異邦人と食事をし、ユダヤ人に見られている時には、異邦人との食事をしなかったというように、行動に一貫性がないことを責めたこと」などが過去にはあったことも、率直に話したでしょう。そして更に、「律法の行いによって義と認められるのではなく、主イエス・キリストを信じる信仰によって、義と認められ、恵みによって救われる」ということが強調されたでしょう。でもまた、「ガラテヤ人への手紙3章24節」に記されているように、「律法は、私達が信仰によって義と認められて、救いに導かれるための養育係りであり、素晴らしい知的教材であり、知的な成長と悔い改めに導かれるのに役立つ」ということも付け加えたでしょう。
以上のような、使徒の代表であったヤコブの証しを聞いた会衆は沈黙し、パウロたちのガラテヤ地方などでの異邦人伝道における不思議な業に耳を傾けたのです(使徒行伝15章11-12節)。そして、その後を締めくくるように、長老の代表であったヤコブは、「使徒行伝15章13-21節」に記されているように、「アモス書9章11-12節などに預言されている異邦人に対する救いを引用して、異邦人に割礼を強要しなくても、キリストを信じる信仰だけでよい」としながらも、「偶像に備えた汚れた物と不品行と絞め殺した血」とを避けるという十戒の律法(出エジプト記20章3-17節に示される第1戒、第2戒、6-10戒など)」を守るという妥協案を示し、これが会衆一同の了承するところとなりました。これは、正に、「ガラテヤ人への手紙6章15節」に記されているように、「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」ということと同じです。そして、「コリント人への手紙第二5章17節」の「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」というみことばにも通じます。
2006年11月12日(日)聖日礼拝で、山口光師は、「使徒行伝16章1-5節」を中心聖句とし、「パウロの弟子、テモテ」と題して、メッセージを取り次いで下さいました:
= = 先ず会衆に向かって、「どなたでも、ありがたいと思う感謝を報告して下さい。」呼びかけ、次の4人の方々から、感謝の報告がありました:= = =
@ ジンメルマン靖子姉: 私は満州で、小学校2年の時に終戦を迎えましたが、当時の小学校の同窓会が東京で開催されるということを、日本に居る私の次兄から知らされました。そこで、覚えていた同級生4人の名前を次兄に知らせ「もし、お会いになったらよろしく」と伝えておきました。その同窓会に出席した次兄は、「残念ながら4人とも欠席だったけれど、不思議なことに、4人中の一人の兄さんが、ボクの隣に座っていたよ」と連絡してきました。私の同級生本人は国際結婚をして、ロスアンゼルスに住んでいることが分かりました。Eメール・アドレスを送ってくれましたので、連絡したところ、夫妻揃って我 家に来て下さり、60数年振りに再会をいたしました。何にもまして嬉しかったことは、その友人夫婦がクリスチャンであったこと、また、奥様は伝道旅行に行くほどに熱心な信仰者だったことです。しばらくの間でしたが、私達は喜びに溢れて、この不思議な巡り合わせを主に感謝いたしました。再会の模様を私から知らされた次兄は、若い頃に洗礼を受けたものの、今は教会から遠ざかっています。とは言え、私達が、素晴らしい祝福の時を持てたことを、自分のことのように喜んでくれました。すべて、主のお導きによることを覚えつつ、心から感謝をいたしました。
A セント・ジョン美香姉: 榎本保郎先生の「一日一章」の本を読み、人生における試練も、後なって見れば、それは良いことであったと気付き、感謝しています。
B デイ美智子姉: 私の2人の娘は洗礼を受けています。上の娘は教会に行っていますが、下の娘は子育てに忙しく、教会から離れていました。でも最近、上の娘から電話があり、「妹と一緒に教会に行っている」という知らせがあり、感謝しています。
C 新田悦子: 最近、息子のマッケンジーと娘のシエーナが洗礼を受けたことを感謝します。= =
「使徒行伝16章31節」には、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という有名なみことばが示されています。今、そのみことばを皆で一緒に拝読しましょう。私達が人間関係の中で、空虚感に襲われたり、返済できないでいる負債が心に重たくなっても、イエスさまが、私達の一切の重荷を負って下さり、私達の心を軽くし、永遠の命を約束して下さっていることを覚え、感謝しましょう。また、感冒予防接種する時の注射針のように、みことばが私達の心に注入される時には、イエスさまが私達に介入して下さり、病が予防され、癒され、また、きよめられることを信じ、感謝しましょう。
さて、本日の聖書箇所には、テモテという人物が、小アジヤ(今のトルコ地方)にあるルステラにおり、既に恐らくパウロらの第1次宣教旅行の際に救われており、パウロらがルステラを訪問してテモテに会った時、パウロは、テモテがルステラやイコニオムの兄弟たちの間で評判が良いことも知り、テモテを牧師の卵のように見て、鞄持ちとしてこれからの宣教に連れて行きたいと思ったことが、記されています。ところが、テモテは母がユダヤ人で、父がギリシャ人であったので、2つの価値観も違う世界で生きて来ており、割礼は受けていませんでした。「テモテへの手紙第二1章4節」には、「私(パウロ)は、あなた(テモテ)の涙を覚えているのでー − 」と記されています。テモテが泣いていた理由は不明です。しかし、テモテは、母が異邦人と結婚したことや、父から受けたローマ式の教育によって、ユダヤの3大祭りもせずに過ごしたことなどで、ユダヤ人から圧力をかけられ、感受性強いテモテは泣いたのかもしれません。パウロは、後になり、テモテにエペソ教会を任せた頃になって、「テモテへの手紙の第一と第二」をテモテに送っているのです。
パウロは、テモテを自分達の宣教の鞄持ちとして連れて行くに当たり、割礼を強制することなく、テモテが割礼を受けるようにお願いしたのです。それは、パウロがテモテのこれからの宣教において、ユダヤ人への福音宣教活動が円滑に進められることを望んでのテモテへのお願いであったでしょう。そこで、テモテは、ユダヤ人や隣人達の救いのためなら、そして隣人が救われるためならと、素直に割礼を受けるという犠牲を払ったのでしょう。そのように、テモテは、自分の救いのみならず、多くの人々の救いのために、犠牲を払って割礼を受けたのです。アブラハムも、子孫が神に立ち返れば救われることを信じて、一人の掛け替えの無い息子のイサクを神に捧げたのです。
「ペテロの手紙第一4章8節」には、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」と示されています。私達は、お互いに愛し合って、犠牲を払って相手を愛して行くなら、山をも動かす信仰がついて来るのです。私達が、イエス・キリストを救い主として受け入れたならば、先ず一塁ベースに入って、再出発しましょう。そして、私達が、周りの人々の救いのために、試練を通して受ける犠牲をも、主の栄光が現されるためであることを再認識し、次のベースに進んで行きましょう。
2006年11月19日(日)聖日礼拝では、マックレア・マ−ク牧師が、「詩篇149編1-9節」から、「神の御旨の中で喜ぼう(Rejoice in God's Will)」と題して、次のようなメッセージを取り次いで下さいました:
= = その前に、酒井謙兄からのお証しがあり、最初に聖歌#496(主と主のことばに[詩篇119編42節])/Hymn #18を、会衆一同と共に歌って主を讃美してから、「詩篇1編1-6節」が拝読され、お祈りに続いて、次のように自分が救いに導かれた喜びや感謝の経緯が伝えられました:= =
私は、日本の群馬県伊香保の近くにある吾妻村の田舎に生まれました。そこには教会はなく、神社や仏閣だけはありました。1971年頃、日本での職場を変えて、米国ペンシルバニア州のハリスバークに来て働き出しました。1976年には、ロスアンゼルス地区に移りましたが、長男が生まれたので、静かなフォルブロック地区に住むようになりました。そして友人に誘われて仏教会に行って3週間を過ごしたこともあり、また、創価学会の集会に出席したり、仏教の本も読みましたが、心に平安がなく、昼も夜も働き続けていました。
しかし、今から約7年前、その職場に沖縄の女の人が来て、何か喜びに満ち溢れたような感じで、「イエス・キリストを信じたら、天国でお会いするのに、1銭もかかりませんよ」と言われました。それから初めて聖書を読むようになり、みことばのテープも車の中で聞く日が始まり、心が強く動かされ、聖書には、仏教とは全く違う絶対的な真理が示されていることも教えられました。それは、今思えば、私に聖霊が働いて下さったことでした。私は、「ヨハネ伝3章36節」の「御子を信じる者は、永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」というみことばが強く心に迫ってきて、「私が、やっと、人生での本当の神に巡り会えた」ということでした。そして、「コリント人への手紙第一10章31節」の「ーー食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を表すためにしなさい。」というみことばも強く示され、2000年6月に韓国人宣教師によって洗礼を受け、喜びに満ち溢れ、クリスチャンとしての新出発となりました。
それからは、昼夜働いても気分的にも楽になり、対人関係も円滑になり、間もなく「ビスタ日本人教会」(ノースカウンテイ・クリスチャン教会の前身)に導かれ、その礼拝にも出席するようになった頃、山口光牧師から突然、「次の礼拝でお祈りして下さい」と言われ、戸惑いました。しかし、「ルカ伝11章3節」の「主の祈り」なども示されて、お祈りを捧げることが出来ました。このように、私がイエス・キリストを信じて救いに導かれ、永遠の命を戴いたことを感謝致し、主イエス・キリストに栄光が現されて行きます様にとお祈りします。= = 終りに、聖歌#521(キリストにはかえられません[ヨハネ伝6章68節]/Hymn #65)を、会衆一同と共に歌って主を讃美しました。
今、酒井謙さんのお証しを聞いて、喜びが増し加わったことを感謝します。「詩篇30編11節」に示される「嘆きを踊りに変え、荒布を解き喜びを着せて下さる」主なる神に感謝しましょう。今週は、感謝祭の週です。そんなこともあってか、私は最近、一風変わった食事会の絵を描くような夢を見ました。それば、豪華な3階建ての家の各階の各部屋に、私の家族や友人達が集まり、各部屋に最高の食事が用意されていました。その部屋の窓にはカーテンが架かり、外は見えませんでした。その夢の中で私がカーテンをめくって外の光景を見ると、多くの群衆がいて、彼等は痩せ細り、襤褸切れを着ていました。私が息子にそれを見せたら、息子は視線を反らせてしまいました。私が目覚めて、その夢を回想した時、その夢は、世の中にある「物質的な豊かさ」と、その逆の「貧しさ」の2極化を映し出していたように思われました。私は、このような貧しい者に施しができるかということで、心が乏しくなり、痛む思いとなりました。でも、自分の悟りに頼るのでなく、自分の感情を優先せず、神を優先し、心から主のみことばに聴き従い、主に頼り求めて行きたいと思います。
感謝祭の週は、喜びで満たされる週でありたいと思います。聖書から「喜び」を示す聖句を選びますと、「詩篇149編5-6節」や「詩篇96編11-13節」などが示されます。そして、救いの道は、イエス・キリストを信じ、聖書は真理であると信じるという一本の道であり、他には救いの道はないのです。サウル王の息子、ヨナタンは、父が民に誓わせた断食の誓いを聞いていなかったので、腹のすくままに蜂蜜を食べて殺されそうになったが、民に救われたこと(「サムエル記第一14章24-45節」参照)や、エステルが、ペルシャ王妃となって、ハマンのたくらみによるユダヤ人殺害から同胞を救ったこと(「エステル記」参照)などには、「救いの喜び」が示されています。私は、先日の「中間選挙」の結果を喜んでいます。この世界において、神に認められる本当の正義がなされて行くように祈りましょう。私達の小さな努力では世界の問題が変えられないかもしれません。でも平和を願い、感謝できるよう、小さい努力でも続けて行きましょう。= = 最後に、「ピリピ人への手紙4章4-6節」と「テサロニケ人への手紙第一5章16-18節」を皆で拝読して、メッセージが終りました。= = また、本日は聖餐式ももたれました。= =
2006年11月26日(日)聖日礼拝では、山口光師は、「使徒行伝17章16-34節」から、「私たちは神の中で生きている」と題して、次のようなメッセージを取り次いで下さいました:
= = 最初に、「感謝祭での感謝を報告して下さい。」という山口先生からの呼びかけに応じて、次のような感謝の報告がありました:
@ 11月23日という感謝祭の日が、丁度、2才になる孫の誕生日であったので、孫の誕生祝いの日ともなりました。 A今までの感謝祭の日は、お客のもてなしや料理などで忙しく過ごしましたが、先日の感謝祭は、十数年振りに、夫婦だけで、「感謝」をもう一度、しっかりと再発見させて戴きました。B 私の夫は、13年間の闘病生活を送った後、約7ヶ月前に天に召されましたが、やがて、天で再会できることを思い、感謝しました。C 私は病状生活から回復され、3年振りに家族と共に、ターキーで食事をすることが出来、感謝しました。 D 感謝祭の日は、夫が焼いてくれたリブ・ステーキを食べて感謝しました。 E 医療保険のない夫が、体調を崩しましたが、義兄がその医療に対する保険を提供して下さったことを感謝しています。 F 感謝祭の当日は、自宅に、5名の青年達が集まり、食事を共にしながら、お証し会ともなりました。その青年の中で、3人はクリスチャンで、2人は未信者の女性でした。でも、クリスチャンから、それぞれ、自分が救いに導かれた経緯を分かち合う事が出来、2人の女性も興味深く聞いて下さり、良い時が持てたことを感謝しています。 = = 続いて山口先生からも次のような感謝の報告がありました: 去る感謝祭の日には、4教会合同の晩餐会と聖餐式に、約90名が集まり、聖餐式の司式は私が致し、「主の祈り」も、各フレーズ毎に、英語、スペイン語、日本語で、それぞれお祈りが捧げられました。そして、皆が解散してから、アンテオケ教会の牧師先生をフォローしている方が、講壇の前に跪いてお祈りを捧げている姿に接し、国や文化を超えて、神のお働きがなされていることを覚えて、感謝しました。= =
「水魚の交わり」という有名な言葉がありますが、その言葉には、魚は水が無くては生きられないという魚と水との密接な関係が示されています。人と神との関係においても、そのような「水魚の交わり」のような関係がある筈なのです。本日の聖書箇所の中心聖句は「28節」に示されているように、「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」これは、パウロがギリシャのアテネにあるアレオパゴスの裁判所で、イエスキリストの福音を宣べ伝えたことでした。当時、パウロは、第2次宣教旅行で、アテネに足を運び、同労者であるシラスとテモテが来るのを待ちながら、一人で過ごしいる時、「16節」に記されるように、パウロは、「その町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた」のです。そして、パウロは、会堂でユダヤ人達と論じたり、広場では、快楽主義者であるエピクロス派の人達や、その反対の禁欲主義者であり汎神論者でもあるストア派の哲学者達と論じ合いました。これらの人達は、自分達とは違う立場の人と論じ合うのが好きで、論破すれば、それがニュースとなったのです。彼等は、パウロから「イエスと復活」の話しを聞いても、理解できない者達とか、パウロを軽蔑する者達でした。そこで彼等は、パウロをアレオパゴスの裁判所に連れて来て、パウロから更に、アテネ人にとっては「新しい教え」を聞こうとし、パウロを舞台に立たせ、話させたのです。
そこでパウロの話したことが、「22節から31節」に記されています。パウロは、当時のアテネ人を「宗教心のあつい方々」と言い、「3,000種類以上もある神殿彫像という沢山な偶像を拝む迷信深い人々」とは言いませんでした。しかし、「あなたがたの拝むものを見ているうちに、”知られない神に。”と刻まれた祭壇ああるのを見つけた」ということを伝え、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」と切り出したのです。パウロは先ず、天地万物を創造された創造神である本当の神は、人が作った神殿や偶像などには住まわれず、本当の神を求める者が、自分の無知や罪を悔い改めるなら、「その人は、本当の神の支配の中で呼吸をし、動き、存在している」というように、力説したのです。そして、そのような人には、死んで消滅する世界はなく、新しい世界、新しい命が与えられて始まる世界があるのであって、本当の神の中での呼吸が始められるというイエス・キリストの福音を伝えたのです。
そのようなパウロの教えを聞いて、あざ笑う者達もいましたが、一方、信仰に入る者達もいたのです。私達も、イエス・キリストの福音を、まだ信仰に導かれていない家族や隣人達に伝えて、キリストを証しして行き、多くの人々が救われるようにお祈りして行きましょう。
光岡恭平通信員