2006年5月7日(日)の聖日礼拝で、山口光師は、「ヨハネの福音書21章15-17節」を中心聖句として、「私の羊を養いなさい」と題し、次のようなメッセージをして下さいました。
ペテロは、エルサレムで、復活の主イエスに2度出会いました。でも、ペテロは、主イエスさまから予告されていたように、十字架上の主イエスさまを3度も否認してしまった罪の思いに苛まれ、もう主イエスは自分とは共におられないと思う失意に落ち込んでしまったのでしょう。そこで、恐らくペテロは、生まれ故郷のガリラヤに戻って、静まる時を持ち、また、自分の経験を生かして漁生活に戻ることにしたのでしょう。それでペテロはエルサレムを去り、ガリラヤに帰り、主イエスの弟子7人と一緒に、ガリラヤ湖で小舟に乗って一晩、網を張って漁をしました。しかし彼らは、その夜明けになっても何も獲れず、岸辺に向かったのです。
一方、神である復活の主イエスは、そのようにガリラヤに帰って行くペテロらの後を追いかけて下さり、ガリラヤ湖畔で、ペテロらのために、火を炊きながら朝食を用意しておられ、愛をもって、弟子達の体の糧も、心の糧も用意されていたのです。その時、ペテロらが、何も獲れずに岸辺に向かう姿をご覧になって、「何か獲物はあったか?」と呼びかけ、ペテロらは、「何も獲れませんでした」と答えました。そこで、イエスさまは、「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」と言われ、弟子たちがそのようにすると大漁の153匹の魚が獲れたのです。その時、弟子達は、そのように呼びかけて下さった方が、イエスさまであることに気付き、陸に上がって、復活のイエスさまとの3度目の出会いとなったのです。
そして、弟子達が復活の主イエスさまから朝食を戴き、その朝食が済んだ後、イエスさまは、ペテロを個人名で、「ヨハネの子シモン」と呼びかけて、愛をもって話しかけて下さったのです。イエスさまは、ペテロに「この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と聞かれました。この「愛しますか」というギリシャ語は「アガパオー」で、「結婚を誓い合う愛、無条件の愛で愛しますか」という意味です。そう聞かれたペテロは、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と答えましたが、その「愛する」というギリシャ語は、「フィレオー」であり、「兄弟関係のフィレオー愛をもって愛す」という意味です。そして、そのペテロの答えに対して、イエスさまは「わたしの子羊を飼いなさい。」と命じられました。イエスさまとペテロとの間に、このような応答が、2回繰り返された後の3回目、イエスさまはペテロに、「わたしをフィレオーの愛で愛しますか」と問いかけ、ペテロは、前と同じように、「フィレオーの愛で愛することは、あなたがご存知です。」と答え、イエスさまは、それを受け入れ、最後に前と同じように「わたしの子羊を飼いなさい。」と命じられたのです。
このようにして、ペテロは、復活の主イエス様との3度目の出会いによって、自分には、フィレオーという不完全な愛を持ってしかイエスさまを愛することが出来ず、それ以上の愛は自分にないことが示されたのです。でも、イエスさまはペテロの罪を赦され、ペテロは癒され、イエスさまが命じられたように、天上の教会を見上げながら、福音の伝道・宣教を開始し、地上の教会を建て上げて行ったのです。「使徒行伝2章14-26節」には、ペテロが、ペンテコステの日に、エルサレムに集まった大勢の人達の前で、大胆な説教をし、イエス・キリストを証ししたことが記されています。その説教で、ペテロは、主イエス・キリストが私達の右側に立って下さり、強め、守って下さることなどを、旧約聖書も引用しながら、自分達がイエス・キリストを十字架につけてしまったのだという罪を認め、悔い改めて救われるように導いたのです。これは、正に、ペテロが、復活のイエスさまから命じられた「わたしの子羊を飼いなさい」というご命令に、従順に聴き従った結果です。
私達、救われた者達も、まだ救われていない一人一人に、イエス・キリストの福音を伝え、小牧者となり、子羊である未信者の家族、友人、知人たちが、救いに導かれるよう、養い育てて行きましょう。そのように、これから教会員一人一人も、自発的に協力し合って、教会成長に励んで行けるよう、お祈りしましょう。
5月14日(日)聖日礼拝では、山口光師は、「出エジプト記11章、12章及び、詩篇51編1-2節」を中心聖句とし、「3つのきよめ」と題し、次のようなメッセージをして下さいました。
なお、その前に、今月の聖句「イザヤ書64章8節」に関連して、「主は陶器師 - Change My Heart, O God」を歌い、また、光岡節子姉が、「浜辺の歌」のメロデイに合わせて作詞した「あなたは陶器師、私は粘土」も歌って、主を賛美しました。
そして、本日は「母の日」であり、また、イエスラエル共和国が再建された1948年5月14日を記念する日であることも覚え、お祈りが捧げられました。
特に、少子化が進み、また片親育ちの子供や孤児が多くなる現代において、命の尊さと喜びのメッセージを放つ母親たちが用いられるように、また、イスラエルの民が、神の約束を信じ、国の再建と共に、霊的な命も回復されて行くようにと、お祈りが捧げられました。
先週の礼拝では、イエスイさまの弟子であったペテロが、イエス様を知らないと否認した罪に心を痛め、生まれ故郷のガリラヤに戻って漁をした時に、復活のイエス様に出会って、その罪の赦しと、きよめを体験した後、エルサレムでユダヤ人達に大胆に説教したことを話しました。
今日は、ダビテ王が、預言者ナタンによって、自分の犯した数々の罪に気付かされ、悔い改め、心砕かれて、神に赦され、きよめられたということをお話しします。ダビテ王は、その体験を、「詩篇51編」に表現しています。その「詩篇1-2節」には、先ず3つの罪として、@「神に背いて犯した”背きの罪(transgression, intentional sins”」、A「罪を犯すと知りながら、それを行動に移して、不正、不義を行なう罪である”咎(iniquity)”」、B「罪になるとは気付かずに犯してしまう罪、”不本意の罪(sin, unintentional sin”」という3つの罪が記されています。そして、「IIサムエル記11章」には、ダビテ王が犯した、そのような3つの罪が記されているのです。
ダビテ王の曾祖母は、異邦人であったルツで、ダビテが若い時には「エッサイの子」というように侮辱されたような言い方をされていましたが、若くして、ペリシテ人のゴリアテを倒し、イスラエル国民の支持を得て、30才で王となりました。その後ダビテは、ヘブロンで7年半、エルサレムで33年間、合計40年半に亘って王としてイスラエル王国の統一を目指して励みました。それで、「IIサムエル記11章」の前までは、ペリシテ人との戦いや近隣諸国との戦いでも、ダビテ王自身が、その戦いの最前線で活躍し、次々と勝利を収め、ダビテ王の主である神の力と栄光が顕現され来たことが記されています。ところが、ダビテ王が50才頃になると、「IIサムエル記11章」に記されるように、ゆとりが出て来て、部下の兵士達が戦いの最前線で戦っているのに、自分は王宮に留まり、心も緩んでしまって、神にも背き、罪を犯してしまったのです。
「IIサムエル記11章」には、ダビテの犯した3つの罪が次のように示されています: @ ダビテが神の御心に背いて犯した「背きの罪」とは、ダビテ王は、戦争中でありながら、戦争に行かず、今までの戦勝に満足し、王宮に留まり、ゆるみ、ウリヤの妻バテシバに、「姦淫の罪」を犯したこと; また、王の権威を乱用して、姦淫の罪をもみ消そうとして、ウリヤを戦地から王宮に呼び寄せ、バテシバがいるウリヤの家でウリヤがバテシバと寝るように仕掛けたこと(でも、ウリヤは、神を仰ぎ、バテシバの家には行かなかったこと)など; A ダビテの犯した「咎」とは、バテシバの夫であり信仰者であったウリヤを激戦地に送り、罪と知りながら、王の権威を悪用して、部下のヨアブを使って、ウリヤを戦死させるように指令し、ヨアブをも巻き込んで罪を犯させたこと; B ダビテが、罪を犯すとは知らずに犯した「不本意の罪」とは、ダビテがヨアブに出された指令によって、ウリヤだけが戦死する筈であると思っていたが、王の兵士達もウリヤと一緒に戦死してしまったので、ダビテは、その間接的な殺害者となって罪を犯したことたこと;また、姦淫によってバテシバから生まれた男の子は、生後間もなく病気になって死亡し、それもダビテの罪による間接的な殺害の罪と見られています。
そしてまた、「IIサムエル記12章」には、ダビテ王が、預言者ナタンによって、自分の犯した上記のような罪に気付かされ、悔い改めて、砕かれた心となり、神に赦され、きよめられ、その体験が、「詩篇51編10節」に、「ゆるがないきよい心が造られた」というように、ダビテの内側が、新しく造り変えられ、新しい服も着せられ、新しい人となったことが示されています。
私達も、物事が順調に進んでいる時に、サタンの誘惑に気を付け、主の御心を求め、主のみことばに聴き従うよう、聖霊の導きを戴きましょう。また、サタンの誘惑に負けてしまって、罪を犯すことがあったら、直ぐに悔い改め、自我が砕れるよう、聖霊の助けを戴き、きよめて戴きましょう。ペテロやダビテ王が、罪を犯しても、悔い改めて、神に立ち返って、神に用いられたように、私達も、いつも神に立ち返り、神に用いて戴き、家族の者達にも福音を伝えて行ききましょう。
5月21日(日)聖日礼拝では、山口光師は、「使徒行伝2章1-12節」を中心聖句とし、「ペンテコステと収穫祭」と題し、次のようなメッセージをして下さいました:
今年のペンテコステ(五旬節のギリシャ語)は6月4日(日)で、イエス・キリストの復活日から数えて50日目です。この日は、ヘブル語の「シャーブオース」で、「7週の祭」あるいは「初穂の刈り入れの祭」と言われた日です。旧約聖書時代では、「レビ記23章15-17節」に記されるように、その日は、「大麦の初穂を捧げた日から満7週(49日)を経た翌日」で、その日には、「主への奉献物として、小麦の初穂である小麦粉0.2エパ(4.6リットル)に、パン種を入れて焼かれたものを2個を捧げる」という日でした。
このような小麦の畠に小麦の種が蒔かれる前の畠は、どろで耕されて黒い色に見えていたでしょう。でも、そこの種が蒔かれて芽が出て、葉が出れば、緑色に見えて来るでしょう。そして、穂が出てくれば、畠一面が白く見え、更に、その穂が実ってくれば、畠一面が黄金色に見えて来るでしょう。これは、私達の人生にも例えられます。私達がまだキリストを信じていない時には、自分の人生は黒色に見えるでしょう。しかし、私達にからし種くらいの信仰の種が蒔かれると、やがては芽が出て、喜びの緑の色も現れ、多くの実を結び、黄金の世界へと引き上げられるでしょう。新約聖書に記されているように、12才頃のイエスさまは、既にモーセ五書を暗記されておられ、律法学者ともよく話し合っておられたのですから、旧約聖書に記される黄金の「収穫祭」のことについても、心に留めて、再臨の時にも思いを馳せたのではないでしょうか。
「ヨハネによる福音書12章23-24節」には、イエスさまは、十字架に架かられる6日前、弟子達に、「一粒の麦が地に落ちて、死ねば、豊かな実を結ぶ」というたとえを話し、「人の子が栄光を受ける時が来た」ことを告げたのです。このイエスさまのお話しは、ご自分が6日後、安息日の前日にに十字架に架けられて死に、安息日の翌日(日曜日)に復活することを予告されていたのです。イエスさまは初穂のようになられ、小麦の穂の形が壊されて粉になるように、十字架で死んで下さいました。そのようになった小麦粉に水が入れられ、また、パン種である私達一人一人を、その中に入れて、パンにして下さり、私達一人一人に、イエスさまのいのちを与えて下さるのです。
私は、昨年8月、イスラエルに行った時、エルサレム市内に残っている「使徒行伝2章に記されるペンテコステの部屋」を見ることが出来ました。その部屋は、石造りの部屋で、この会堂くらいの広さですが、天井はもっと高かったです。「使徒行伝1章3-11節」に記されているように、イエスさまは、十字架に架けられ、苦しみを受け、死んで3日目に復活され、40日間に亘って弟子達に現れ、最後に弟子達への命令として、「エルサレムを離れずに、聖霊が弟子達の上に臨まれるという父なる神の約束を待ちなさい」と言われ、オリーブ山から昇天されたのです。その直後に弟子達は、そばに立っている二人のの天使から、イエスさまの再臨の姿も聞いたのです。イエスさまの昇天後、弟子達は、オリーブ山からエルサレムに帰って、老若男女を合わせて約120名が、一つの部屋に集まり、「使徒行伝1章12-26節」に記されているように、心を合わせて一人一人が祈りに専念していました。その間、彼らは、主イエス・キリストに在って調和があり、イエスさまを裏切って自殺したユダの代わりに、マッテヤを使徒に選出して、十二使徒を再構成する会議もありました。
このようにして、五旬節の日、一つの部屋に集まって祈りに専念していた約120名の弟子達の上に、聖霊が降臨された様子が、「使徒行伝2章2-3節」に記されています。その時の聖霊は、激しい風が吹いてくるような響きが、石壁に包まれた部屋全体を突き抜けて入って来て、また、炎のように分かれた舌が、一人一人の上に留まったのです。四面壁でも、神である聖霊は、命の息吹を吹きつけるお方として、その壁を突き抜けて入られたのでしょう。また、「黙示録1章14節」に記されているように、「再臨されたイエス・キリストの目は、燃える炎のようであった」ことが記されています。そのように、聖霊も、蝋燭の火の炎のように、即ち、それまで見えなかったものが、一本の蝋燭の炎で、良く見えるようになるようにと、働いて下さったのでしょう。
そして、「使徒行伝2章41節」に記されているように、約三千人が弟子に加えられたという、素晴らしい伝道・宣教の御業がなされ、初代教会が建て挙げられて行ったのです。このような伝道・宣教の御業は、約120名の弟子達一人一人が、聖霊の注ぎを受けて、神に造られた器とされ、きよめられ、福音が宣べ伝えられて行った成果と言えるでしょう。その一人一人は、聖霊の注ぎを受けたことによって、元は、モーセのように、口の重い人であったかもしれませんが、聖霊によって力と知恵を戴きながら、福音が語られ、伝道・宣教が進められて行ったのでしょう。
私達も、イエス・キリストの贖いによる血潮で、罪が赦され、救われた者となったのです。でも、聖霊を1回だけ受けただけでは、再び不信仰に陥るのです。ですから、私達は、とかく罪に陥り易いことを覚え、絶えず、聖霊の注ぎを求め続け、きよめて戴きましょう。
5月28日(日)聖日礼拝では、マックルア・マーク先生が、「ガラテヤ書3章26-29節」から、「One in Christ(キリストにあって一つ)」と題して、次のようなメッセージをして下さいました:
今日は、先ず4人1組ずつに分かれ、今日のメッセージのテーマとなっている「One in Christ(キリストにあって一つ)」を、ただ頭で理解するのではなく、体を使って理解できるようにしてみましょう。今、1組毎に、1枚の紙をお渡しします。その紙の中央の上下左右は、十字架状に、本日の聖書箇所の3章28節の聖句が英語で、[There is neither Jew nor Greek, slave nor free, male nor female, for you are all one in Christ Jesus.]と記され、4つに区分されています。その4分の1ずつに折られた空白に、1人ずつが、本日のテーマに沿って、絵や文字で、気持ちを込めて、各自5分位で描き表し、その表現されたそれぞれ4つの絵や文字が1枚に広げられた時、キリストにあって一つになるとよいですね。
ここに、それと同じように、1枚の紙を4つに分けて、その4分の1ずつの空白4つに、私達夫婦と山口先生ご夫妻の4人がそれぞれ描いた見本がありますので、それをお見せします。(ぶどうの木とその枝が描かれた絵と共に、お祈りする人の顔などが描かれて、キリストにあって一つになっている姿が示されています。)= = では、皆さん、4人1組が心を合わせ、4分の1ずつの絵を仕上げて下さい。なお、その間、メッセージも続けますので、その話も聞きながら、それぞれの絵を仕上げて行って下さい。= =
本日の聖書箇所に記されているガラテヤ教会にパウロが訪問した頃は、間違った福音を説く人々によって惑わされ、分裂の危機にありました。そのような惑わす人々が、カラテヤ教会に説いたこととは、「割礼を受けたユダヤ人だけが、イエス・キリストを信じる信仰によって、救われて、クリスチャンとなれるが、割礼を受けていない異邦人は、キリストを信じても救われず、クリスチャンにはなれない」というような、間違った福音でした。そのように惑わされたガラテヤ教会では、ユダヤ人と異邦人との間には、食事による交流も無く、また結婚においても、モーセの律法で、ユダヤ人は異邦人との結婚が禁止されていたことを反映して、同族結婚だけでした。このように、ガラテヤ教会では、人種間の摩擦という問題があったので、パウロは、ガラテヤ教会の人達が、福音の本来の意味を正しく取り戻すことが出来るように、論じ合って行ったのです。
パウロは、ガラテヤ教会の人達に、「人種、文化、言葉などが異なっても、いかなる国の人でも、ただ、イエス・キリストを信じることによって、罪が贖われ、救われ、義と認められ、神の子とされる」ということを強調しました。そして、「そのようなキリストを信じる信仰を持った神の子達は、すべて、キリストにあって、霊的に一つになれる」ということも強調し、また、「そのように救われるためには、必ず割礼を受けていなければならないという条件もなく、あるいは、何らかの功績などがあるということを条件として、救われるというのでもない」ということも強調したのです。
先に、皆さんにお見せした私達夫婦と山口先生ご夫妻とが描いた4人の絵は、それぞれ、「ヨハネによる福音書15章1-7節」のぶどうの木と枝の譬えや、「ヨハネによる福音書17章11節、20-21節」に示されるように、クリスチャン達の一致を願われたイエスさまのお祈りの姿や、「ヨハネの手紙 第一3章24節」の示されるように、神に聴き従う者は神の霊と一つになるという姿が描かれています。
さて、私達クリスチャンは、救われた後、信仰の共同体である教会で、例え試練に遭っても、それに耐えて行く姿でなければなりません。「ローマ人への手紙8章28節」に示されるように、「神のご計画の中で、試練に出会っても、神は、それをすべて益として下さる」ということを、心に留め、神のみことばに聴き従って行きましょう。
= = 続いて、聖餐式が行なわれ、「コリント人への手紙 第一12章12節」と「ヨハネによる福音書6章53-58節」のみことばを戴いた後、一つのテーブルから、一つのパンと、一つの杯からのぶどうジュースを、それぞれ分かち合い、感謝のお祈りが捧げられ、主イエスを救い主と信じた者が、聖餐に預かりました。= =
光岡恭平通信員