2006年4月2日(日)の聖日礼拝では、先ず、キッズ・タイムがあり、サンデー・スクールの子供ら8人も、共に礼拝堂に集り、ジェレミイ・ボウリン兄(Mr. Jeremy BOWLIN)は、子供達を前にして、次のように話しました: 先月から、「サムエル記上」を学んでいますが、今日は、「サムエル記上8章4-5節」を学びます。この聖書箇所には、イスラエルの長老達が、サムエルに、もう士師の制度をやめて、他国のように、王を立てて下さいと要求することが記されています。また、今日も先週に続き、日本語の「カタカナ」も学びましょう。 = = 続いて、今月誕生日の方々2名が立ち上がり、会衆一同が、HAPPY BIRTHDAYを歌った後、マーク・マックレラ牧師が、誕生日祝福の祈りを捧げました。その後、ジェレミイ兄は子供達を連れて、サンデイ・スクールに向かいました。= =
続いて、同日の聖日礼拝で、光岡恭平兄から、次のような証しがありました: 私は64才頃、1990年4月15日イースターの日に、大川道雄牧師によって、家内の節子と共に洗礼を受け、その救いを喜び、救い主を賛美し、「草萌えて 受洗喜ぶ イースター」という俳句が生まれました。今、私の人生の歩みを振り返って見ますと、その時、その時に、神のご計画による道しるべが示され、導かれて来たことを覚え、感謝しています。私に今まで示された信仰の道しるべ(道標)には、次の8つがあり、その時に応じて、次のようにそれぞれに名前が記されていたのです:
第1の道標LOVE(愛)に導かれた時: それは、24才頃、「アガペーの愛の神の子イエス・キリストを信じるだけで天国に行ける」というキリスト教だけが、絶対的真理であると気付き始め、1950年梅雨時、私が初めてキリスト教の集会(御茶ノ水学生会館での夜の伝道集会)に導かれた時です。しかし、「キリストの復活と昇天」がわからず、すごすごと帰宅しました。すると、このはずくの鳴き声が寂しく聞こえ、「門叩き 崩れて聞くは このはず」という俳句になり、キリストの愛による訓練が始まりました。(しかし、内村鑑三の”無教会主義”を曲解しでしまい、神から離れた35年を過ごしてしまいました。)
第2の道標LIGHT(光)に導かれた時: それは、59才頃、1985年初夏、米国での仕事の友人に誘われ、私の2番目に導かれた教会として、「コスタメサのカルバリー・チャペル」の礼拝に出席した時です。その日は、主の光に照らされ、喜びが増し加わり、その礼拝後、倉野博夫さん家族も紹介されました。(その出会いから約3年後、私達は、不思議な切っ掛けで、今の教会に繋がったのです。)
第3の道標LOGOS(真理)に導かれた時: それは62才頃、SAN DIEGO JAPANESE CHRISTIAN CHURCH(SDJCC)の伝道所としてご自宅を開放していた倉野博夫さん宅での、1988年12月クリスマス集会に出席した時です。その集会は、私が3番目に導かれた教会となり、今の教会に繋がったのです。その集会で、イエスさまを本当に愛しておられた日系二世のJOE浜田さんご夫妻にもお会いし、親しい交わりが始まり、聖書の真理(LOGOS)についても、一つずつ教えられ、聖書の学びが始まりました。
第4の道標LIFE(命)に導かれた時: それは64才頃、1990年3月9日午後9時近くのことです。SDJCCで開かれた、日本からの12名の牧師による伝道集会に出席し、話し合いの時、平野耕一先生に、自分が理解出来ない「キリストの復活や昇天など数項目」についてお聞きしている時、突然、聖霊の注ぎで、「信仰は理屈を超えた次元にある」ということが示され、ハッとし、頑なな自分を悔い改めて、イエス・キリストを信じて心に受け入れたのです。直ちに平野先生に導かれ、その場で「ローマ書10章9-10節」のみことばをもって信仰を告白しました。その夜、「コリント人への手紙 第二5章17節」に記される「新生」が胸に迫り、「突然に 神の声聞く 春の宵」という俳句も生まれて来ました。
第5の道標LORAD(主)に導かれた時: それは、初めに話したように、1990年4月15日イースターにおける私の受洗日です。その時から、私は、本当に救い主イエス・キリストなる私の主(LORD)のみことばに聴き従い、主と共に歩む日々が始まったのです。
第6の道標LAMB(神の子羊)に導かれた時: 私が主と共に、御霊によって歩みながらも、時にはサタンにそそのかされ、その度ごとに、聖霊に助けられ、神の子羊(LAMB)によってきよめられて来ています。その中でも76才頃が特筆される時です。私は76才の頃、膀胱結石と膀胱癌に罹り、直ちに除去され、その後の検査では「クリア」と診断されて来ています。その病気を通して、「コリント人への手紙 第一3章16節」に示されるように、「聖霊が宿っておられる神の宮」である自分の体の健康を、充分に管理しなければならないことに気付き、第6の道標に記されるLAMB(神の子羊)がはっきりと見えてきて、きよめられ、癒されるようにと祈るようになりました。
第7の道標5L(LOVE,LIGHT,LOGOS,LIFE,LORD)に導かれた時: 幸いなことに、2003年春から開かれた北米聖書神学院(BSNA)の「信徒コース」で学び始め、2年間を終了しました。その間、教会音楽の学びのテストの時、5Lと記された第7の道標に出会い、童謡「我は海の子」のメロデイに合わせて、聖句を入れた歌詞を作り、「5L賛歌」が出来たのです。
第8の道標LUMINOSITY(光輝)を遥かに見える所に来た時: この第8の道標は、私が、2006年春から始まったBSNAの「神学修士コース」で学ぶことが許された時から、遥か彼方に見えてきたのです。そして、「コリント人への手紙 第一10章31節」の「何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」というみことばが、強く示されました。そして、私が、福音を周りの日本人、日系人や日本の家族、友人、知人にも、いつも解り易く、速やかに伝えて行き、その人々が救いに導かれるよう、私が主の証し人として、主の栄光を現す者になるよう、願い、祈っています。 牧師先生、皆様方のお祈りと励ましとご支援を感謝します。
同日続いて、山口光師は、「ヨハネの福音書13章1-20節」から、「イエス様の洗い」と題し、次のようなメッセージをして下さいました。
本日の聖書箇所は、イスラエルの民が、モーセの時代からイエスさまの時代まで、約1,500年間に亘って、神の定めた祭りとして守ってきた、「過ぎ越しの祭り」における「過ぎ越しの食事」のことが記されています。「過ぎ越しの祭り」は、イスラエルの民が、神の導きによって、エジプトでの奴隷生活から解放されて、エジプトを脱出したという「神の御業と恵み」を記念する祭りでした。その祭りは、当時毎年の1月14日の夜から始まる15日に行なわれ、家族らが集まって、「過ぎ越しの食事」を共にし、食卓に置かれた「ほふられた過ぎ越しの子羊」の肉を分け合い、種を入れないパンと苦菜を共に食べたのです。本日の聖書箇所で、イエスさまが弟子達と共に「過ぎ越しの食事」をされたことは、共観福音書でも記され、それが、「最後の晩餐」といわれています。それは、何故、「最後」となる晩餐なのでしょうか?何故なら、イエスさまは、その晩餐を最後として、ご自分が、全人類の罪の身代わりとなて、十字架に架かり、贖いを完成されたからです。イエスさまによる十字架上での贖いの死だけで、以後、永遠に、何も動物をほふって、罪の贖いをするという必要がなくなったからです。従って、イエスラエルの民が、エジプト脱出を記念して、ほふった動物の肉を食卓に置いて、「過ぎ越しの祭リ」とか、「過ぎ越しの食事」をする必要もなくなったからです。即ち、イエスさまが十字架に架かられる前の夜、弟子達がイエスさまを囲んでの「過ぎ越しの食事」が最後となって、以後、そのような晩餐は必要ではなくなったのです。
また、その「過ぎ越しの食事」を弟子達が食卓を囲んだ時、イエスさまは、上着を抜いて、手ぬぐいを腰にまとい、たらいに水を入れて、弟子達の足を洗って、手ぬぐいで拭き始めました。当時、人の足を洗うということは、召使いや女性がする仕事でした。イエスさまが、ペテロの足をお洗いになろうとする時、ペテロは、「決して、私の足をお洗いにならないでください。」と拒否しました。しかし、イエスさまは、そのペテロの無知を諌め、「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」とご返事されました。そこで、ペテロは、思い直して、「自分の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」とお願いしました。イエスさまは、そのペテロに、「水浴した者は、足以外は洗う必要がない、きよいのです。」と言われ、ペテロを少しほめました。でも、イエスさまは、「みながそうではありません。」と言われ、イエスさまを間もなく裏切るイスカリオテのユダを暗示しました。イエスさまを裏切ったユダは、一見、イエスさまに従ったような態度であっても、その心が硬直していた者でした。イエスさまが、「みながきよいのではありません。」と言われた時、そのようなユダは悔い改めせず、既に「詩篇41編9節」で預言されていたように、「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。」ということになりました。
以上のようなイエスさまのお言葉と行動から示されることは、@ 私達も、主から洗いきよめて戴き、A お互いに、足を洗い合うように、互いに「仕え合う」ということです。また、B 十字架上の救い主イエス・キリストを仰ぎ、へりくだって、主に仕えるということです。これから、「詩篇51編」を拝読します。その後、皆さんが、黙祷をもって、悔い改めの祈りを捧げましょう。
4月9日(日)聖日礼拝では、山口光師は、「イザヤ書53章5節」を中心聖句とし、「主の打ち傷によって癒される」と題し、次のようなメッセージをして下さいました:
今日は、「しゅろの主日」(PALM SUNDAY)と呼ばれる日です。今から約2000年前に、イエスさまが十字架上で人類の罪の贖い死を遂げられた日が、「過ぎ越しの祭り」の第1日目である金曜日で、その3日目の日曜日に復活されました。そのイエスさまが復活された日曜日から1週間前の日曜日がPALM SUNDAYと呼ばれる記念日となったのです。そのように記念となった日曜日に、イエスさまは、その約1,500年前からユダヤ人たちがお祝いして来たように、エルサレムで「過ぎ越しの祭り」をお祝いするために、弟子達を連れて、エルサレムに入られたのです。何故そのように「PALM SUNDAY」といわれるようになったのでしょうか。当時、デイアスポラと呼ばれる、「離散したユダヤ人」たちも含め、大勢のユダヤ人達が、年に1度の「過ぎ越しの祭り」を、エルサレムでお祝いするために、エルサレムに集まって来ました。その大勢のユダヤ人達は、イエスさまもエルサレムに入られるということを聞いて、「ヨハネの福音書12章12-13節」に記されるように、イエスさまこそ、イスラエルを、ローマ帝国の支配から解放して下さる「政治的なメシヤ」と誤解し、「しゅろの木の枝」を取って、イエスさまを出迎えたのです。それで、その日を「しゅろの主日」(PALM SUNDAY)と呼ばれるようになったのでしょう。
ところで、その「過ぎ越しの祭り」は、「出エジプト記20章2節」に記されているように、「わたし(神)は、あなた(イスラエルの民)をエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」という、唯一の神を、感謝をもって心に留め、自由に神を礼拝できるようになったことを感謝し、記念するための祭りでした。イスラエルの民は、約400年間、エジプトで苦しい奴隷生活からの解放を、神に叫び求め続けたので、神は、キリストの予表といわれるモーセを用いて、イスラエルの民を導き、神の不思議な力ある御業によって、紅海の海を左右に分けた通路を通らせ、エジプトを脱出させ、自由に神を礼拝できる民へと解放したのです。イスラエルの民は、このようにして、自分達の奴隷生活を解放して下さり、奴隷生活からの「過ぎ越し」を実現して自由を与えて下さった神に心を留め、「過ぎ越しの祭り」と「過ぎ越しの食事」をしました。その「過ぎ越しの祭り」では、きよくありたいと願い、神にきよめられたいと願い、羊をほふり、その血を祭壇に持って行き、祭司はその血を祭壇にふりかけ、きよめの儀式を行なったのです。また、その日の「過ぎ越しの食事」では、そのようにほふられた動物の肉を料理して食卓の中央に置き、それを皆で分け合って食べたのです。
イエスさまが、エルサレムに入られた時、民衆は、このお方こそ、旧約聖書に預言されている「メシヤ」と思い、「ホサナ」(今、お救い下さい)と叫びながらも、「ヒイロー」のように、国の英雄のように迎え入れたのです。しかし、イエスさまは、「動物による贖いの備え」を外しに来られたお方でした。というのは、イエスさまご自身が、祭壇の上に命を捧げてくださるということなのでした。神は、私達の心の深いところまでも見通しておられます。神は、当時の民衆が、イエスさまをエルサレムで迎える時の心の狭さを見抜かれたことでしょう。
パウロは、キリスト者を迫害していましたが、復活のイエス・キリストに出会ってからは、キリストなる神に立ち返り、小アジアやヨーロッパへの宣教師となりました。そして、そのパウロは、エペソの教会の人々にも、「人間の愛の模範としてのキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」が、どれほどであるか知ることが出来るようにと、祈ったのです。(エペソ人への手紙3章18節参照。)その「広い愛」とは、「例えば、パリサイ人でもサドカイ人でも、日本人でもどの地域の人でも、どんな年齢の人でも、文化の違う色々な人にも、罪人でも、広くすべて異なった人々を愛で包む」という愛です。また、「高い愛」とは、「エロスというような低い次元の愛ではなく、高い、天国から注がれる愛」です。「長い愛」とは、「状況によって途切れてしまうような愛ではなく、どんなことがあっても、永遠に続く愛」です。また、「深い愛」とは、「イザヤ書53章」で、イザヤが約700年後の十字架のイエスさまを預言したように、イエスさまは、十字架から陰府と言われるような深い所に下られ、その深いところから、罪人をとりなし、証しもしておられるという愛」です。「イザヤ書53章」には、神の子羊である御子が、苦難を受けることによって、人類の罪の贖い主となることが預言されています。そして、その預言は、「過ぎ越しの祭り」の日に成就されたのでした。
イエスさまが、イスカリオテのユダの裏切りによって、逮捕される前の「最後の晩餐」で、イエスさまが、弟子達の足をお洗いになった時、ペテロは、イエスさまに、最初、「決して私の足をお洗いにならないでください。」と拒みました。しかし、イエスさまから、「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」と言われ、ペテロは、「主よ、私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」とお願いしました。でもイエスさまは、「水浴した者は、足以外には洗う必要はありません。」と言われて、ペテロはそれに従いました。しかし、その翌日、十字架を前にしたイエスさまを知らないと否定してしまうという、心の狭い、愛の浅い姿を現してしまいました。
十戒の中に、「殺すな。」と「姦淫するな。」という戒めもあります。その「殺すな。」という戒めも、「姦淫するな。」という戒めも、心の中も含めて、「罪を犯すな」ということで、それぞれ、「人を生かせ。」と、「夫婦円満でなれ」ということに繋がります。罪を犯すということは、的外れのことをするということです。そのような罪を悔い改めて、きよめられても、その罪の傷跡は残されます。それは、神でも同様であって、御子イエスさまが復活された栄光の体にも、十字架に釘付けされた手足の傷跡が残されていました。「使徒行伝1章11節」には、再臨のイエスさまは、復活されたイエスさまが、40日後に昇天された時の姿と同じ姿であることも記されています。但し、人の場合は、他人によって傷を負い、その傷が癒された後も、傷跡として残り、その傷つけた相手を恨むようなこともあるでしょう。しかし、神であるイエス・キリストは、そのように傷をつけた罪人を呪うことはありません。イエスさまが、十字架上での第1言として「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」というように、執り成してくださり、また、今も、私達を執り成して下さっているのです。「マタイの福音書5章44節」には、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と言われたイエスさまのみことばが記されていますが、イエスさまは、ご自身で、そのみことばを実現されたのです。
私達が、救い主イエス・キリストを信じて、心に迎え入れる時、主による癒しの歩みが始まり、その癒しは、キリストなる主の再臨に出会う時に、完了されます。その時は、もう朽ちる姿を見て、涙を流すというようなことがなく、涙もなく、癒しも救いも完成されるのです。そして、キリストによる千年王国の建設がなされて行くのです。主の愛を慕い求め、人々が、救いに導かれて行くようにと、執り成しのお祈りを捧げて行きましょう。
4月16日(日)イースターの聖日礼拝では、マックルア・マーク先生が、「ルカ伝24章1-12節」から、「From Mud to Mansions (土からの創造)」と題して、次のようなメッセージをして下さいました:
本日の聖書箇所2節には、「石が墓からころがしてあった。」と記されています。イエスさまが死んで葬られた所も、イエスさまが御降誕された場所も、石に囲まれた所でした。そのような石である、「花崗岩」を粉砕して、篩いにかけて、細かい粉末だけを集め、その粉末に適当な量の水を加えながら練り込み、充分に練り込んで、空気や不純物などの異物を除いて出来るのが「上質粘土」です。そして、人間の体の組成の90%以上は、その「上質粘土」の組成と同じであるということです。神は、人間以外の天地万物を、それぞれ無から創造され、最後に、人間を土から創造されたので、その人間の肉体の組成の90%以上が、土の組成と同じなのでしょう。
その「上質粘土」は、ロクロ(轆轤)の中心に置かれ、それが回転されながら、器の形に形成されて行きます。それを「陶磁器」として仕上げるには、その形成された器を「窯」に入れ、適当な温度や時間で焼き上げて、「陶器」、「磁器」が造られるのです。しかし、若し、その粘土に空気等の不純物や異物が混っていれば、それを窯で焼いた時、爆発し、周りに置かれている器までも破壊してしまい、皆、使い物にならなくなってしまいます。ですから、充分な注意を払って、先ず、粘土を異物混入のない「上質粘土」に仕上げ、それをロクロにかけて、「よい器」とし、それを窯に入れて「陶器」や「磁器」に仕上げて行くのです。
「ローマ書9章20-26節」に示されるように、父なる神は、陶器師のようなお方です。神は、人を陶器のように形造って行きます。人が、神によって形造られるためには、先ず、私達の石のように頑なな自我が砕かれ、「上質粘土」へと練り込まれて行くような訓練を受け、器が形成され、それが窯の中に入れられて焼かれ、神の御手の中で、「神の器」、「本当の器」へと、新しく形造られて行くのです。
「詩篇22編15節」には、メシヤが「土器のかけらのように、かわききり」というような苦しみが預言がされており、その預言通りに、イエスさまは、人類の罪の身代わりとなって十字架に釘付けにされ、霊肉の苦しみの中で、「わたしは渇く」と叫んだのです(ヨハネの福音書19章28節)。
陶磁器の質には色々あり、その造り方にも色々あります。粘土から形造られた器を、窯に入れ、低い温度(700-800℃)で焼くと、「素焼き(BISQUE)器」となります。その「素焼き器」の周りに釉(うわぐすり)を掛け、それを窯に入れて、本焼き(約1,200度前後の温度で焼成)をすると、食器などの「陶器」になります。また、「素焼き器」を砕いて、粉末にし、それを少しずつ粘土に加えて練り込んで出来た上質粘土を、ロクロにかけて形成して出来た器を窯に入れ、第1日目は弱い火で、次いで2日目には、最高温度を1,350℃以上に高めて、約1時間焼き、その後は、窯の火を止めて、徐々に窯を冷やして行き、3日目にその窯を開いて、中の器を取り出すと、耐圧性も耐久性も高い「磁器」あるいは、「硬質陶器」と呼ばれる器になります。「磁器」は、1,000年間以上も長持ちするようになります。このような「磁器」が、窯の中に3日間置かれるということは、イエスさまが、十字架で死んで葬られ3日目に復活された事と同じように思われます。また、1940年頃、ベトウイーンの羊飼い達によって、死海の岩穴の中から、約1,000年位前に造られた、大きな器が見つかり、その器の中に、聖書の巻物が、そのまま腐ることなく保存されていたのです。
陶器師である父なる神は、水と共に練られた粘土の私達の中に、砕かれたイエスさまを更に練り込んで出来た「上質粘土」を、形造られた器にし、高温の窯の中で焼かれて訓練を与えながら、強くて耐久性のある「磁器」のように、新しく形造って下さるのです。「コリント人への手紙第一 3章9-15節」に記されているように、私達が永遠の命に生きる、新しい器とされて、更に火の中を通るという訓練・試練に耐え、強い信仰者となり、終わりの日における火による裁きでも砕かれず、その真価が明らかになるのです。
「ヨハネの福音書14章1-3節」には、イエスさまは、十字架に架けられる前に、弟子達に予告され、「神を信じ、イエスさまを信じる信仰者のために、自分は天におられる父なる神のみもとに行き、信仰者のためにマンションを備える」と約束されました。イエスさまの十字架上での死は、私達の罪の贖いのための死であったことを、しっかりと受け止め、私達も自我に死に、よみがえられたイエスさまと共に、磁器のように、強くして戴き、イエス・キリストの心を心として、与えられた永遠の命に希望をもって、信じて歩んで行くのです。そして、聖書のことばの部分的なことばだけを取り入れるのではなく、聖書に一貫して示されているイエスさまを、私達の生活の中に迎え入れて行き、イエス・キリスとを、身をもって、証ししながら、福音を人々に伝えて行きましょう。
私達の所有する物は、朽ち果て、無くなって行きます。しかし、私達の霊魂は永遠に残り、この世の終わりには天国か地獄かという2つのどちらかに定められます。私達は、神である陶器師によって、自我をイエスさまと共に、十字架につけ、イエスさまご自身が、よみがえられたように、私達もキリストを信じる信仰者として、よみがえらせて戴き、「本当の神の器」とされるように、私達は、信仰に堅く立って、陶器師である神に、全てお委ねしながら、生きて行きましょう。
紀元480年頃、コンスタンチノーブルの司祭のジョンが捧げた祈りがあります。その祈りによって祈る牧師の祈りに合わせて、会衆一同も、祈りましょう。= = 私達は、主イエス・キリストを信じる信仰によって、喜びをもって、キリストを、私達の心の中に迎え入れ、永遠の命を戴けることを感謝します。また、私達の罪の贖いのために、御子イエス・キリストを神の子羊として用意して下さったことを感謝します。私達が、救い主、イエス・キリストを信じる信仰のみことばに立って、主を賛美します。もう、自分の咎を思い出して悲しむことなく、明るい光の道を歩めることを感謝します。また、私達が、罪と死から解放されていることを、改めて感謝します。= =これをもって、メッセージは終わりました。
同日礼拝後、Miss Shaina Hoshi Byrun、Mr. Mackenzie Asahi Byrun、Mrs. Saori Somiya Reardonの洗礼式がありました。その洗礼の前に、それぞれが講壇に立って、自分がイエス・キリストを信じる信仰に導かれた経緯を、お証ししました。
4月23日(日)聖日礼拝では、山口光師は、「ヨハネによる福音書21章1-12節」を中心聖句とし、「岸辺で待つイエス様」と題し、次のようなメッセージをして下さいました:
イエスさまは、死を克服され、復活された日曜日の夜、弟子達がいた所に現れ、「あなたがたを世に遣わします」と仰せられ、彼らに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と命じられています。(ヨハネ福音書20章21-22参照)。復活のイエスさまが、このように「弟子達に息を吹きかけた」ということは、「創世記2章7節」に記されているように、「創造主なる神は、土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた」ということと同じようです。その次の日曜日にもイエス様は弟子達に現れたのです。しかしその頃、弟子達は、もうイエスさまと一緒に居ることは出来なくなったので、途方に暮れ、取り残されたように思っていたのでしょう。そして弟子達は、まだ、神の子イエス・キリストの復活信仰が、十分に確立してはいなかったのでしょう。
そんな弟子達と同じように、ペテロも途方に暮れ、自分の存在を見直すようになり、3年半前の当時も振り返り、イエスさまに出会った時、「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われ、心が熱くなって、すぐに網を捨て、イエスさまに従ったことも思い出したでしょう。でもイエスさまが十字架に架けられる時、イエスさまを3度も否定した事も思い出され、これからどのように生きて行けばよいかと苦しんだでしょう。その結果、ペテロは、自分の原点を取り戻そうと思い、自分の郷里であるガリラヤに帰り、やり直しをすることにして、トマス、ナタエル、ヨハネ、ヤコブ、他2名のイエスの弟子と共に、ガリラヤで漁師を始めたのです。そしてペテロらは、魚がよく獲れる夜になってから舟を漕いで、漁に出掛けましたが、夜明け頃になっても、何も獲れなかったのです。そのため、自分の経験や知識や技術など、何も使い物にならず、自分の限界を知らされ、口惜しく思い、恐らくペテロは泣きながら、岸辺に向かって漕ぎだしたのでしょう。
その頃、復活のイエスさまは、その岸辺で、そのように塞ぎこんだ弟子達のために、炭火を炊いて、魚を焼き、パンなどの食事も用意し、弟子達を「執り成して行く」用意をしておられたのです。しかし、ペテロなどの弟子たちは、それがイエスさまであるとに気付かず、目が開かれず、盲目であったのです。今年の私達の教会2006年間教会標語は、「目を上げて畠をみなさい。」(ヨハネによる福音書4章35節)です。神様のご計画によって、畠も用意され、耕され、実が結んでおり、もう収穫できる時が来ているということです。そのように、復活のイエスさまは、既に、弟子達が、人それぞれに神から与えられた賜物、経験や知恵や力などが、神に用いられ、人類の罪を贖って、復活されたイエス・キリストを信じる信仰によって救われるという「福音」の伝道・宣教へ遣わされるよう、用意をされていたのです。私達も、イエスさまの救いの宣教計画に目を上げて見ましょう。
そして、イエスさまの方から、弟子達に呼びかけ、「食べ物はありませんね。」と言われました。その弟子達は、言われたお方がイエスさまだとは、まだ気付きませんでしたが、素直に、「はい。ありません。」と答えました。するとイエスさまは、弟子達に「舟の右側に網をおろしなさい。」と言われ、弟子達がそのようにすると、舟からは網を引き上げられない程の大漁になったのです。その時、ヨハネが、あのお方は主イエスさまであることをペテロに告げると、ペテロは、汚れた裸を見られたくないと思ったのでしょう、(でも、イエスさまは、霊の目で何でも見通せられるお方ですが)、すぐに上着を着て湖に飛び込み、陸地に上がってイエスさまにお会いしたのです。
一方、大漁の網を陸地に引き上げて、その魚の数を数えると153匹でした。それは、魚の種類が153種類であったと理解されたり、また、153もある全ての地域からの魚であったと理解されたりもします。その時ペテロは、聖霊の導きによる自分の献身によって、福音が、エルサレムから、ユダヤ、サマリヤ、地の果てまで伝えられ、多くの人が救われて行くことが示されたでしょう。ペテロは、直ぐにその後、復活のイエスから声をかけられ、イエスに聴き従った神の器として用いられ、実際に福音がエルサレムから世界へと広がり始めたのです。既に、ペテロは、聖霊降誕のペンテコステの日に、群衆に説教して、約三千人が弟子に加えられ、初代教会の建て上げは始められていたのです(使徒の働き2章41節)。私達も、神からの使命と賜物が与えられ、神に大きく用いられて行き、福音が広められて行きますようにと、お祈りしましょう。
4月30日(日)聖日礼拝では、マックルア・マーク先生が、「イザヤ書64章8節」と「エレミヤ書18章1-10節」から、「ろくろと粘土」と題して、次のようなメッセージをして下さいました:
「ろくろ」は、器を作るために必要な道具で、昔から色々なタイプがありました。ここにある「ろくろ」は、電気で回転する金属円盤の中心上部に、上質粘土の塊を載せ、その回転粘土を、指と手を使いながら、器の形に作って行く機械で、$600位の低価格品です。エレミヤ書に記されている頃の「ろくろ」は、楓などの堅い木から作った円盤の中心上部に、上質粘土の塊を乗せてから、その円盤を、足で回転させながら、器を形作って行く仕組みになっていたでしょう。私も昔は、そのような足で回転させる「ろくろ」を作り、器を作ったこともありました。
その「ろくろ」にかける粘土は、花崗岩を打ち砕いて、粉にし、その粉に水を少しずつ加えて練り込んで行きながら、その中に入っている空気を抜き、不純物を除いて、上質粘土とすることが必要です。私達も、神である陶器師にお委ねして、頑固な自我やプライドなどが砕かれ、練られながら、きよめられて行き、神に喜ばれる器に造り変えられなければなりません。また、陶器を作るための「粘土」と言っても、その性質に違いがあるように、神が「神の器」を作るために用いられる一人一人の特徴にも違いがあります。
また、その上質粘土を、ろくろの円盤中心上部にしっかりと据えられないと、その粘土は、円盤状をくるくるの飛び回るだけとなり、器の形には'作られません。そのように、私達も、陶器師である神と対立し、自分中心の自我のままでは、神の器にはなって行きません。陶器師は、上質粘土を、円盤中心上部にしっかりと据えつけ、先ず指によって、その粘土上部の中心に穴が開けられ、その穴から次第に粘土の内側の下へと指と手が伸ばされて行って、その内側が広げられ、同時に、その粘土の外側も空いている指と手で押さえられ、支えられながら、きれいにされて行き、器の形に仕上げられて行くのです。私達も、神の器とされるためには、陶器師てある神の御手にお委ねしって、旋盤中心上部にしっかりと据えて戴き、神の御手によって、その粘土上部の中心に穴が開けられ、その穴から神の霊であるイエスさまを受け入れて、次第にその内側であるの下へと御手が伸ばされて行って、内側が広げられて救われ、同時に、その外側である環境も整えられ、変えられて行き、神に喜ばれる行動となってきれいにされて行くのです。
でも、そのろくろで器の形が造られて行く途中で、歪んだ所が出来てしまった時には、その歪んだ所を全部切り取って、やり直します。「詩篇139編13-16節」に示されるように、私達は神によって土から創造され、母の胎で組み立てられ、「コリント人への手紙 第一10章13節」に示されるように、試練に耐える力も与えられたのです。そして、キリストの命が入れられ、神である主の器とされたたのです。その主の器とは、ここに置かれている聖餐のパンを入れる茶碗型の器やぶどう酒を入れる茶碗型の器で、いずれも私が最近造った器です。そのように、私達クリスチャンは、キリストの砕かれた体であるパンが入れられ、キリストの贖いの血潮であるぶどう酒が注がれて、それぞれ「きよい器」とされたような者です。私達は、天地創造以前から、神の御心の中に置かれ、神のご計画によって、キリストを信じて受け入れ、神の御手によって造り変えられ、神の子とされ、キリストに似た姿へと完成されて行くことを覚え、感謝しましょう。
では、最後に、皆で、「主は陶器師ーChange My Heart, O God」を歌って、主を賛美しましょう。
同日、続いてストーン悦子姉から、次のような正直なお証しがありました:「私は、1年半前から夫と別居し、仕事もなくなり、色々な困難や痛みや八方塞がりの状況でしたが、空を見上げた時、そんな気持ちを乗り越えることが出来ました。また、礼拝説教を聞く毎に、愛が示され、神に立ち返り、天国に帰る時に、神から、”よくやった”と言われるように歩んで行きたいと祈っています。また、先日、息子のマッケンジーと娘のシェナが洗礼を受けて救われたことも感謝します。」。また、そのお証しの後、聖餐式もありました。
同日午後5時から、四教会(Lifeway Church, Greater Antioch, Iglesia Bautista Camino De Vida, North County Japanese Christian Church)合同の「夕べの集会」が持たれました。当教会からは、マックレラ・マーク先生が、ろくろと粘土を用いて、私達が、心を砕き、自我が砕かれ、主の御手によって、きよめられ、救われ、主の器として、主に用いられて行くようになって行くことを、強調されました。
光岡恭平通信員