2005年1月1日(土)元旦集会は、教会堂で、山口光師の司会によって、会衆一同が、聖書朗読(黙示録19章1-12節と詩篇133編)や聖書交読(イザヤ書49章)で、主を崇め、また、聖歌(#179、#484)やプレイズ・ソング(御名により集まる時、5L賛歌、FOOTPRINT、I Was Made to Praise You)などを歌って、主を賛美し、田村久弥先生が次のようなお証しをしてくださいました:
私が、1915年に、神道の家に生まれてから現在までを振り返ってみると、私は、大変運がよい男だと思っています。その第一の原因は、私が、19歳の頃、主イエス・キリストを知って、信じたということです。また、その第二は、家内の「淑子(よしこ)」と50年の結婚を共にしたということで、感謝しています。そして、聖書に「あなたの宝を天に積め」と示されているように、私たちが、イエス・キリストに生かされ、その一生をキリストに捧げて来ることが出来たことを、嬉しく思い、感謝しています。
私が小学校5年の時、父は胃癌で死亡し、母は、私達4人の子供を養うことになりました。それで、私は小学校6年の時、おじの家に預けられ、中学に入ってからは、丁稚奉公をして働きました。しかし、母がそれをあわれに思い、私は母の手元に戻され、京都府の宮津中学に入りました。その7月に、母の上の兄に当たる伯父が心臓病で亡くなり、私がその遺産を引き継ぐことになりました。その伯父は、福岡で火災保険会社の支店長をしており、400坪の住宅の他、長崎に約10億円相当の不動産を持っており、その大遺産を、私が引き継ぐことになったのです。それによって、私は中学を卒業後、日本医科大学に入って、医師になることが出来、1941年にその大学を卒業しました。しかし、その後まもなく第二次世界大戦となり、私は、今から約60年前の1944年に、軍医として徴兵されました。そして、中支から、サイゴン、カンボジャ、タイ、ビルマなどの戦線を通って、インドのインパール作戦でも、歩兵の後からついて行ったのです。
その日本の歩兵隊は、敵にレーダーで探索され、夜明け頃突然、私達の後ろで、迫撃砲が爆発し、歩兵の竹内君が負傷したのです。私がその止血治療に夢中になっている時、その近くで、再び迫撃砲が爆発し、その爆破破片が、私の左大腿部に当って負傷したのです。私の骨や動脈や内臓には損傷がありませんでしたが、直ちに、竹内君と共に、野戦病院に入れられました。その5日後に、大戦争が起こり、日本兵の一つの陣地が攻撃され、そのトーチカにいた兵隊も軍医も全部、戦死しました。もし私が、その前に負傷して入院していなかったら、恐らくそこで戦死したでしょう。神は、私の命を助けてくださったのです。そして、その後、約1年で終戦となりました。
戦後、私は、東京大学産婦人科で勉強した後、日本キリスト教団に属する横須賀の衣笠病院で、1947年から1958年まで、産婦人科の医師を担当しました。その病院は、医師が4名しかいない小さな木造建て病院でしたが、馬鹿にされないように心がけて行きました。その頃は、自動車が殆んどありませんでしたが、小型自動車を改造し、三浦半島全域の妊産婦を迎えに行って病院に入れ、お産費用も安くし、お産の患者が月100人位集まりました。
その間、1953年ー1954年には、日本キリスト教団の留学生試験合格者として、米国イエール大学に留学し、その図書館で、出産について、最近10年間の文献を調べ、血中ヘブリノーゲン値低下と出血との関係がわかり、それを、1960年の日本医学会に発表して、好評を得ました。そして、米国から帰って、衣笠病院に戻ると、後輩が副院長になっており、私が病院にいると院長になれないと思ったらしく、私は彼にいじめられました。そこで、私は1958年に、その病院を辞めたのです。
そして、私は沼津緑町病院(現在の聖隷沼逗病院)に移り、1958年から1964年まで、勤めました。その病院は、1950年に設立されましたが、評判の悪い病院で、院長も次々と交代し、その頃の院長は4代目でした。その院長から、私に是非その病院で働いてもらいたいと要請され、それを引き受け、その病院の建て直しを図ったのです。そして、その5年後の1963年頃には、沼津市でも、患者が一番多い病院となりました。しかし、薬屋が、リベートをもって薬を売り込み、そのリベートの額が、病院収入よりも多くなってしまったのです。こんなことでは、人間が腐ってしまうので、私は、その病院を辞めることにしたのが1964年です。
丁度その頃、インドネシアのモジョケルト(MOJOKERTO)にある「レクソ・ワニト病院」で、外来患者診療と産婦人科への招聘を受け、1964年からその病院で働くことを決心しました。その頃、その病院には、妊産婦の開腹手術が出来る医師もいなかったのです。私は、その病院で、1964年から1966年頃まで働きました。その病院に行ってから間もなく、妊娠中の婦人が、血相を変えて病院に飛び込んできて、腹の激痛を訴えたので、直ちに開腹してみると、胃の出血は、胃のグリーン・ピースくらいの穴からであることが判り、私がそれを手術をすることになり、神に祈りました。そこには、抗生物質もありませんましたが、その手術後、約1週間で、回復へと向かいました。そして、「レクソ・ワニト病院の田村先生であれば、救急患者を助けてくれる」ということが評判になって、3年間で約1,300人の救急患者の病気を癒し、予防しました。
そのようなインドネシアの病院で、3年間の医療奉仕をした後、1967年から3年間は、神戸の「パルモア病院」で副院長を勤めました。私がインドネシアに3年いる間は、日本で家内が娘や息子の面倒をみて、教えていましたが、もう娘は小学校6年生になって、その算数などは教えられないので、日本に戻るようにと言われて、1966年に、インドネシアから日本に帰り、1967年から「パルモア病院」で働いたのです。
その「パルモア病院」にいる頃、「キリスト教国際協力事業団」(JOCS)からの要請で、「カンボジャに医療奉仕に行く医師がいないので、カンボジャに行く医師になってくれないか」という要請を受け、1969年から、カンボジャのモンコルボレーにある外務省管轄の病院に行き、そこで働きました。しかし、翌年の1970年に、カンボジャ戦争が始まり、危険なので、仕方なく、JOCSの要請を受けて、ラオスのベンチェン(VENTIAN)にあるタゴン診療所で、約1年半、1972年まで、難民の診療に当たりました。
その後の1973年から約5年間の1978年までは、また、JOCSの要請で、インドネシアの北セレベス島のトモホン(TOMOHON)にあるベテスダ病院からの招聘を受け、200病床の産婦人科医として働きました。その間、私が60歳になった1975年には、還暦の誕生日のお祝いで、花束を100束くらい戴き、感謝しました。
その後日本に戻り、1979年から1984年までの約5年間は、茨城県の牛久中央病院の内科医をしていた友人から招かれ、そこで診療に従事しました。
1980年には、私は65歳になり、年金が毎月約20万円入るようになったので、70歳になった1985年からは、インドネシアの北セレベス島のアムラン(AMMURANG)のカローラン病院で、1989年まで、自費で、診療奉仕をしました。当時、現地では、月2万円で、衣食住の生活費が充分に賄われ、残りは、薬品や機械や旅費などに支出していました。このように、約9年間のインドネシアでの診療奉仕では、何も給料は貰わず、ボランテイア活動をしました。家内もその地で、幼稚園の保母の奉仕をしました。ある時、私が巡回していと、井戸がないので井戸を掘りたいという家があったので、約1万円くらいのセメントを差し上げました。それによって、そこに井戸が出来上がり、その井戸は、「DR. 田村の井戸」と名づけられて、今も残っています。これは、神が備えてくださったことであると、感謝しています。その後、インドネシア政府に「労働許可ビザ」を申請しましたが、認可されなかったので、1994年に、インドネシアを引き揚げることにしたのです。そのカローラン病院で、思い出深い出来事がありました。それは、モトリンの警察署長の奥さんが、ある保健所に入院しておりましたが、その奥さんが子宮外妊娠で、動脈出血し、救急患者としてカローラ病院に運ばれ、私が、その救急手術治療をしたのです。
昨年、10年振りで、そのモトリンの警察署を尋ねて行ったら、皆、私のことを覚えていてくれて、びっくりし、喜び、、女の人が10人も私に抱きついて来ました。私は、インドネシアでも医療の仕事をしてよかったと思っています。「マタイによる福音書19章21節」には、「もし、あなたが完全になりたいなら、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。」と示されています。私たちが、キリストに生かされ、一生を、そのキリストに捧げて来れたことを、嬉しく、ありがたいと感謝しています。娘は、今、サンデイエゴ地区のデル・マーに住んでいますが、コロンビア大学を卒業して、同時通訳の仕事をし、分子生物学を始めて建て上げた大天才のガーデック教授の息子と結婚し、息子も与えられています。このように、神は金儲けをしなくても、立派な家も与えられ、今は89歳となり、神の恵みに感謝しています。
= = = この後、2-3名のスモール・グループに分かれて、「マタイによる福音書18章19-20節」を、声を出して読み、共に祈り、分かち合いの時を持ち、2004年に神のみことばで、教えられ、戒められ、訓練されたこと(第2テモテ3章16節)などを、分かち合い、又2005年には、神は私達クリスチャンに、何を求めておられるかについて、それぞれの考えを分かち合いました。その後、皆が席に戻り、会衆一同が「主の祈り」をもって、主にお祈りを捧げて、集会が終了され、光岡宅に移動して、お雑煮会での交わりの時も持たれました。= = =
2005年1月2日(日)午前10時からの聖日礼拝では、キッズ・タイムがあり、サンデー・スクール教師のライカード・ハイデイ先生と子供ら7人も、共に礼拝堂に集り、ハイデイ先生は、その子供たちに、次のようなメッセージをされました:
皆さん、「ATONEMENT」(償い、贖い)という言葉の意味を知っていますか?今日は、そのお話をしましょう。
先ず、この白い紙の真ん中に赤丸の的がありますので、皆さん一人に1個ずつの折り紙飛行機をあげますから、その飛行機を、この的に当ててみてください。= = = 7人が投げた紙飛行機の中、1つだけが的に当たり、他の6つは的外れとなりました。= = =この的はキリストです。私たちは、いつもキリストに目を向けて、的外れにならないように心掛けて行きましょう。
次に、ある夢のお話をします。その夢では、私が、真夜中に光によって大学の教室に導かれ、そこの数名の友達がおり、イエスさまも、その前列におられるのが見えました。そして、神様である先生がその教室に入ってこられ、ある用紙を皆に配られ、その用紙の一番上に、自分の名前を記入しなさいと言われました。そして、次のような「10項目」と「特別単位」のそれぞれの内容が、自分にとって、正しいか、間違っているかを記入しなさいと言われました:= = = 私は:(1)嘘をついたことがありません。(2)ねたんだことがありません。(3)みだりに神の名を用いたことがありません。(4)私の両親に従わなかったことはありません。(5)いつも自分の部屋をきれいにしてきました。(6)悪い考えを持った事がありません。(7)気落ちしたことがありません。(8)いつも私は私の野菜を食べてきました。(9)毎朝、私の床を整えて来ました。(10)何も盗んだことがありません。(特別単位: 毎日、一日に3回、歯ブラシで、歯を磨いてきました。)= = = その点数が80点以上の人は、Aが与えられ、A+、とか更にA++、PERFECT、WONDERFULなどと評価されます。皆さんの点数はどうですか?完全に100点の人はいませんね。しかし、イエスさまの点数は、満点で、A++で、PERFECTで、WONDERFULという評価でした。山口先生は、イエスさまの点数に近く、他の人よりも高い点数でしょうが、満点ではないようでした。
ところが、ある子供が、イエスさまの点数表の上の部分に、イエスさまの名前が記されている所を裏に折り曲げて、そのイエスさまの点数表を、自分の名前を記した部分の下につなぎ合わせて、自分の答えを覆い隠し、イエスさまの点数評価表が、あたかも、自分がとった点数評価表のように見せたのです。
でも、「ATONEMENT」(償い、贖い)といういう意味は、全く、そのようなものなのです。「ATONEMENT」(償い、贖い)とは、「おおい隠す」、「(損失・損害などを)償う」「カバーする」「保護する」などという意味があるのです。イエスさまは、私達の罪をおおい隠し、償ってくださるので、私達は、天国に行けるような良い人間になれるのです。
= = = この後、山口光師は、会衆一同と共に、1月生まれの子供1人と大人2人の誕生をお祝いし、お祈りを捧げました。= = =
続いて、同日の聖日礼拝で、山口光師は、「ルカによる福音書10章25-37節」から、「良きサマリア人になろう」と題し、次のようなメッセージをしてくださいました:
2005年が明けました。私たちは、後戻りすることなく、イエス・キリストの愛にあって、一歩一歩、前進して行きましょう。ここに、ゴッホの「良きサマリヤ人」という絵の写真があります。この絵は、今日の聖書箇所に記されている「強盗に襲われて半殺しにされ、青ざめた顔の旅人」が描かれ、その旅人を、良きサマリア人は、自分の馬に乗せて、介抱している様子が描かれ、一方、また、ユダヤ人の祭司やレビ人が、その旅人から隠れるように、向こう側の道に逸れて歩く姿も描かれています。この絵は、私の知り合いの教会から、約2ヶ月前に送られて来たのです。そして、その絵には、「自分を愛するように、隣人を愛せよ」と記されています。
その頃、私は、2005年の教会年間標語を何にするか、祈りながら求めているうちに、その絵を横に置いて、そこに記される「自分を愛するように、隣人を愛せよ」という標語がよいと思っていました。その1週間後、家内の喜恵には何も前打ち合わせもせずに、2005年の教会年間標語は、何にしたらよいかと聞いたとき、やはり、そのみことばを、心から切り離せなかったということです。更に、その後の教会役員会では、男性2人しか集まりませんでしたが、2005年の教会年間標語についての意見交換をした時、その一人の役員からは、「私達の縦の関係にある神を愛し、横の関係にある隣人を愛するという愛をテーマにする」という意見が出され、もう一人の役員からは、「教会の周りの人々への伝道をテーマにする」ということが提案されました。そこで、私が、このゴッホの絵を見せながら、私の心の中にある思いを告げた時、その2人の役員は、お互いに顔を見合わせ、平安が与えられ、この標語が採択されました。台所にいた喜恵も、その様子を聞いていて、役員会でも同じ方向を向いていることは凄いと驚いていました。
そこで、2005年の教会年間聖句は、「レビ記19章18節」の「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。(Love your neighbor as yourself. I am the Lord.)」となり、教会年間標語は、「ルカによる福音書10章27節」の聖句に基づき、”隣人を愛す「良きサマリア人」になろう。(Let us be a good Samaritan)”というように掲げられました。
本日の聖書箇所では、イエスさまは、旧約聖書の意味を、「良きサマリヤ人」のたとえ話を用いて、解き明かしされているのです。旧約聖書に精通していた、プライドの高い律法学者は、イエスさまを試そうとして、イエスさまに、「先生、何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができますか?」と質問したのです。そのような学者に対して、イエスさまは、「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と応えて、その律法学者のプライドを次第に傷つけて行くのです。
それに対して、その学者は、「申命記6章5節」と「レビ記19章18節」からのみことばを引用しながら、それは、旧約聖書の律法のすべてを要約したみことばであると纏めたのです。そのように答えた学者に、イエスさまは、「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」というように勧められたのです。即ち、イエスさまが示されたことは、「永遠のいのちは、みことばを読むだけでなく、みことばを実践したら、与えられる」というように、「実践する」ということを付け加えられ、その学者のプライドを傷つけたのです。その学者は、それまで、「みことばを実践する」ということに気付かなかったのです。「申命記6章4節」には、「聞きなさい。イスラエル。---」と記されていますが、その「聞きなさい」というヘブル語は、「シェマ」であり、その意味は、「聞いて、それを実行しなさい」という意味の動詞です。その律法学者は、「申命記6章4節」にある「シェマ」ということばを読み落としていたのです。
プライドを傷つけられたその学者は、イエスさまに、「では、私の隣人とは、だれのことですか。」と質問しました。その学者は、イエスさまを、「先生」と呼んではいても、ナザレ出身の男として、馬鹿にしており、イエスさまに教えを乞うたのではなく、イエスさまを試そうとしており、聞く耳も持っていないことが、イエスさまには、ちゃんと見えていたのです。その学者は、「隣人」には、敵も含まれるということが示されている「レビ記19章18節」の「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。」というみことばを、ここでも読み落としているのです。そして、「私の隣人とはだれのことですか。」と、イエスさまに質問して、自分の無知をさらけ出したのです。そこで、イエスさまは、「良きサマリヤ人」のたとえ話を挿入され、その「良きサマリヤ人」の深いあわれみの心は、イエスさまが支配していることを示されたのです。
「隣人を愛しなさい。」というみことばには、2つの要素があります。
(1)それは、先ず第一に、「神の愛を受けたものしか、愛を実践することができない。」ということです。「良きサマリヤ人」のたとえ話にででくる、祭司やレビ人は、神に召された人達でしたが、あわれみ深い人ではありませんでした。祭司でも、ザカリヤは、信仰の篤い人で、心の深いところで、神の無条件の愛に溶かされていたようです。人は、神の無条件の愛に溶かされていないと、回りの人が気付かなくても、冷たい人なのです。また、パウロと共に宣教したバルナバは、レビ人で、信仰の篤い人でした。人は、表面的に良いだけでは、人を判断できません。昔、サマリヤ人のような混血の民は、ユダヤ人から愛されていませんでした。そのようなサマリヤ人が愛を実践できたのは、神の無条件の愛に打ちひしがれて、完全に新しく変えられた人となったからです。私達も、「イエスさまの愛に触れて、新しくされ、新しい人となり、愛を与える人とに変えられる」という「福音」に生きて行きましょう。
(2)第二としては、「私の隣人とは、自分に敵対する人も含んでおり、神から愛を戴いたように、敵をも含む隣人に対する愛を行動で現して行く」ということです。神からの愛を受けていても、恐れを抱いてしまい、愛の行動に移せない祭司やレビ人のようであってはいけません。「良きサマリヤ人」にあやかって、愛を施して行きましょう。イエスさまは、「良きサマリヤ人」の原型です。
イエスさまは、その律法学者に、「良きサマリヤ人」のたとえ話の最後に、「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人とになったと思いますか。」とたずね、その学者から、「その人にあわれみをかけてやった人です。」という答えを引き出しました。このように、イエスさまによって、その学者の目が開かれて行ったのです。
昨日の元旦集会では、日本から来られた田村久弥先生のお証しがありました。先生は、神からの愛を戴き、愛をもって、日本や東南アジア各国で、医療奉仕を続けることが出来てきたことをお証しされました。先生は、第二次世界大戦中、日本の軍医として、歩兵に付き添って、サイゴン、カンボジャ、ビルマなどから、インドのインパールでの戦争に参加し、そこで、左の大腿部に迫撃砲弾の破片が当って、負傷し、野戦病院に担ぎ込まれたのです。このように、命拾いをしたことを感謝し、自分の医療奉仕という賜物を活かして、すべてを主に捧げ、日本や東南アジア諸国で、献身的な医療奉仕を続けてきたということです。先生は、キリストの愛に打ちひしがれて、具体的に愛の施ししてきたのです。現在は、長野県の小布施新生病院で、医療活動を続けておられます。
また、先週の日曜日、日本から、この教会の礼拝に出席された村上公久先生は、聖学院大学大学院教授で、他にも沢山な肩書きを持っておられ、今の天皇陛下の皇太子時代には、英語の通訳をされ、英検の委員会の会員でもあるそうです。そのようにお忙しい先生が、去る12月27日から昨日の元旦まで、ムレッタのカルバリ・カンファレンス・センターでの「イクイッパー・カンファレンス2004」での分科会の講師を担当されました。村上先生は、このような、米国で留学を終えて日本に帰国する学生の信仰をフォローアップすることを目的とした、イクイッパー・カンファレンスには、過去5年間にも出席され、また、今後5年間も、奥様と共に、出席される予定だということです。また、奥様は、薬剤師で、スマトラ沖地震による津波被害者の救済のために、スリランカに派遣される医療チームの一員となるように招かれているそうです。このような村上先生ご夫妻の奉仕も、キリストの愛にある献身的な愛の奉仕活動です。
私たちの教会も、この1月は、先月のスマトラ沖地震による津波被害者に義捐金を捧げようと思います。どうぞ、その義捐金に応募して、津波被害者へ、愛の実践をしましょう。
1月9日(日)聖日礼拝では、「音楽のささげもの」があり、光岡節子姉が、昨年6月の北米聖書神学院の「教会音楽の楽しい世界」というセミナーに出席して、その30分の実地テストを受けた時、「浜辺の歌」(童謡)の曲を選択し、「イザヤ書64章8節」の聖句を中心として、みことばを選択し、「浜辺の歌」のメロデイに合わせて、作詞した次のような歌を、山口喜恵姉のピアノ伴奏で、先ず光岡姉が歌い、続いて、会衆一同も、その歌を歌い、主を賛美しました:
1)主よ、あなたの御名を 呼ぶ私は、 あなたに すがる 弱き者です。 あなたの 御顔拝し、 仰ぎつつ、 祈ります。
2)主よ、あなたは私の 父です。 あなたは陶器師で、 私は粘土。 この私は、あなたの手で 造られし者よ、 感謝します。
続いて、山口光師は、「創世記37章」を中心聖句として、「委ねよう。ヨセフのように(Let us depend on the Lord, as Joseph did.)」と題し、次のようなメッセージをされました。
「創世記1-11章」は、神の天地創造の御業と共に、言語や文化の始まりが記され、「創世記12-36章」は、族長時代の様子が、アブラハム、イサク、ヤコブを中心に記され、本日の聖書箇所の「創世記37章」から、「創世記の最後の50章」までは、ヨセフを重要人物として、ヤコブの歴史が記されています。「創世記」は、子供たちへの「よき信仰の書物」で、そこに登場する一人一人に与えられている特徴ある賜物と共に、特徴ある信仰についても記されています。
アブラハムは、「従う信仰」を持っていました。アブラハムは、ウルという大都会で生まれ育ちましたが、75歳の時、神からの細い声を聞き、神に従って、妻のサラやおいのロトたちと共にウルを去って、神の声に聞き従い、神の言われるままに旅を続けて行く人でした。アブラハムの息子のイサクは、「捧げる信仰」を持っていました。そのクライマックスは、モりヤの山で起きました。アブラハムが、神からの啓示を受けて、モリヤの山で祭壇を築き、そこでイサクを犠牲にして神に捧げようとした時、イサクはその神にも父にも反抗することなく、「捧げる信仰」を現しました。また、当時は、一夫多妻の時代でしたが、イサクは、一人の妻、リベカだけを愛し、父アブラハムにも、妻リベカにも忠誠を尽くして、生涯を捧げて行く人でした。イサクの息子のヤコブは、「闘う信仰」を持っていました。「ヤコブ」という名前は「おしのける者」という意味で、生まれた頃から、自分を守るため、こふん奮闘する人でした。ヤコブは、兄のエサウを騙して長子の権利を取り、それによって試練を受け、エサウから離れ、おじのラバンの所に行きましたが、ラバンに疎まれ、大変でした。また、ヤコブは、息子のヨセフが死んだという嘘の知らせで悲しみ、カナンの地での大飢饉に遭うなど、ヤコブを信仰から引き離すような力とも格闘して行く人で、「闘う信仰」の人でした。
では、ヨセフは、どんな信仰を持っていたでしょうか?本日の聖書箇所の3節を見ると、ヤコブは、「彼の息子のだれよりもヨセフを愛していた。」と記されています。ヤコブには、2人の妻と2人のそばめがいましたが、妻ラケルを愛し、ラケルとの間に生まれた息子のヨセフを、生まれた時から愛し、その上の10名の息子よりも溺愛し、新しい長袖の服を着せ、ヤコブの長子であったルベンのような待遇を与え、お下がりの服は着せられなかったようです。そのためヨセフは他の兄弟たちたちから、ねたまれ、いじめられました。ヨセフは、このように、兄弟たちから嫉妬されながら、17歳になった時のエピソードが、本日の聖書箇所に記されているのです。
そのエピソードとは、ヨセフが、二つの夢を見て、それを兄たちに告げ、ヨセフは、ますます彼らに憎まれるようになって行ったという出来事です(創世記37章5節)。その一つの夢とは、「ヨセフとその兄たちが、畑で束をたばねてと、ヨセフの束が突然、まっすぐに立ち上がり、その回りに兄たちの束が来て、ヨセフの束におじにをした」という夢です(創世記37章7節)。また、ヨセフが見たもう一つの夢は、「太陽と月と十一の星が、ヨセフを伏し拝んでいる」という夢です(創世記37章9節)。その夢をヨセフから告げられたヨセフの兄たちは、ますますヨセフを憎むようになりましたが、ヨセフは、父が自分を愛しているという安心感と、揺るがない父の愛に、どっぷりと浸っていたのでしょう。このヨセフが見た夢は、神がヨセフに見せた夢であり、いずれ、本当に、その夢のようになるのです。しかし、ヨセフの兄たちは、ヨセフを殺すことをたくらみますが、一番上の兄、ルベンは、それを察知して、ヨセフの血を流すことを止めました。しかし、ルベンは、兄弟たちを、ヨセフとの和解にまでは導けず、ヨセフを穴に落とすことだけを赦し、あとから、ルベンがそのヨセフを救い出して、父のところに返すことを考えていました(創世記37章18-22節)。
ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らはヨセフの長服をはぎ取り、ヨセフを穴に投げ込んだのです。その穴には水はなかったので、ヨセフは生きられましたが、悲痛な声を発し続けたでしょう。しかしそのヨセフの兄たちは、そこを去るのではなく、その周辺にすわって食事をはじめたのです(創世記37章23-25節)。イエスさまが、「良きサマリヤ人」のたとえ話で言われたように、強盗に襲われて半殺しになった人を見て見ぬふりをして通り過ぎて行った、レビ人や祭司のように、ヨセフの兄たちは、ヨセフを穴に投げても、かわいそうと思わず、平然と食事をしていたのです。そして、その時、そこを通りかかったミデアン人に、ヨセフを銀二十枚で売り渡したのです。そのように、今、世界中は、子供への虐待が、その子親や兄弟から平然と行われるという、冷え切った恐ろしい世の中となっているように思われます。ヨセフの兄たちは策略をめぐらし、ヨセフからはぎ取った長服に獣の血をつけ、ヨセフが死んだように見せかけ、その長服を、父のヤコブに見せたのです。ヤコブは、幾日もの間、ヨセフのために泣き、慰められるのも拒んだのです。(創世記37章25-35節)。
ヤコブの生涯は、そのような罪深い10人の息子たちに振り回されました。「創世記50章」には、ヤコブの家族たちの「罪」と「赦し」と「癒し」が記されています。ヤコブの一生は147年であり、ヤコブがエジプトに移民して17年過ぎた頃に死んだのでした(創世記47章28節)。ヨセフは、17歳の時、エジプトに売られましたが、30歳で、エジプトの総理大臣となり(創世記41章46節)、そして、ヨセフが56歳の時、ヤコブとその家族が、エジプトに移民して来たのです。そして、ヨセフとヨセフの兄たちとは、仲直りした共同生活をしているように見えました。しかし、その関係は、完全には回復していなかったようです。
ヤコブが死んで、ミイラにされるのに40日を要し、エジプトは、ヤコブが死んだことで、70日間、泣き悲しんだことが、「創世記50章3節」に記されています。昨日のOMS教団南加新年聖会で、安藤英世先生がメッセージをされた中で、「ユーラシヤのマザー・テレサが、印度で貧しい人々に献身的な奉仕をして、印度で死んだ時も、国を挙げて悲しまれ、印度で国葬された」というお話しもありました。そのように、闘う信仰を持ったヤコブが、エジプトで死んだ時、エジプトの国中が悲しんだのです。
そして、ヤコブの12人の息子たちは、同じ父であるヤコブを通して、主のあわれみの故に、一つとされたのです。「創世記50章15節」には、「ヨセフの兄弟たちは、父ヤコブが死んだので、ヨセフに犯したすべての悪の仕返しをされるかもしれない」というように、ヨセフの兄弟は、ヨセフとの関係に不安と疑いを持つようになりました。そして、ヨセフの兄弟たちは、ヨセフに赦しを求め、ヨセフは、それを聞いて泣いたのです(創世記50章16節)。そして、ヨセフは、兄弟たちに対し、「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」(創世記50章20節)と答えたのです。この答えは、「ローマ書8章28節」の「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」というみことばと重ねられます。ヨセフの兄弟たちが一つにされたように、神に愛されている者たちは、迫害や艱難に遭っても、キリストの愛から切り離されることなく、圧倒的な勝利者となるのです(ローマ書8章35節、37節。)
私たちも、キリストの愛にすがりついて、圧倒的な勝利者となりましょう。ヨセフの信仰は、「神に委ねる信仰」でした。ヨセフは、そのような「神に委ねる信仰」によって、神は、すべてのことを益としてくださったのです。ヨセフの兄弟たちも、ヨセフの信仰を通して、神の無条件の愛を経験したのです。ヨセフの兄たちには、ヨセフに対する背きの罪という重荷が、父ヤコブが死ぬまで、重くのし掛かっており、ヨセフと一時的には和解したようでも、約40年の月日が過ぎて行ったのです。しかし、ヨセフは、神なる主の愛に降参し、主は「陶器師」で、自分は「粘土」という関係をもって、神の前にひざまずき、神にお委ねした信仰を貫いたのです。そして、ヨセフの兄たちは、ヨセフの前にひれ伏して、「私たちはあなたの奴隷です」(創世記50章18節)と言い、お互いに泣いて、赦し合い、愛と信仰によって、一つとなり、約40年を経て、兄弟たちの重荷が取り払われたのです。
私達の今年度の教会年間標語は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」(レビ記19章18節)です。私達は、愛による一致によって、主イエスキリストにある信仰を回りの人々にも伝えて行くよう、神に派遣されて行き、「求めよ、さらば与えられん」というイエスさまのみことばを心に留め、お祈りして行きましょう。そして、神が、私達一人一人に、最善の2005年を与えてくださり、それぞれの者に、チャレンジを与えてくださるよう、お祈りしましょう。そして、信仰から信仰へと、恵の高きねに登らせて戴きましょう。
1月16日(日)聖日礼拝では、聖日礼拝では、山口光師は、「創世記39章1-2節」を中心聖句とし、「幸運な人ヨセフ」と題して、次のようなメッセージをされ、その前に、先ず、会衆一同と共に、「ハレルヤ!ハレルヤ!」の歌を2回歌って、主を賛美しました:
「出エジプト記1章」には、エジプトの王パロが、「シフラ」と「プア」という二人のヘブル人の助産婦に、「ヘブル人の女の分娩で、男の子の出産の手伝いをす時には、その男の子を殺さなければならない」と命じました。中国でも、夫婦に、一人以上の子が生まれたら、助産婦は、その子の首の骨を折って殺し、人口増加を抑制しましたが、エジプトでも、そのようにして、ユダヤ人の人口増加を制限しようとしたのです。しかし、そのユダヤ人の助産婦たちは、ユダヤ人の母親から出産した男の子を生かしておきました。それで、その助産婦たちは、パロの宮殿に呼ばれ、「王の命令に反している」と責められました。しかし、彼女らは、「ヘブル人の女は、助産婦が行く前に産んでしまう」と、きっぱりと返事をしたのです。その助産婦たちは、逆境の中に立たされた未信者であったでしょうが、神の存在を証しした例です。
また、「サムエル記上17章」には、エッサイの8番目の息子で、いずれはイスラエルの王となるダビテが、羊飼いとしてしか知られていなかった少年の頃、ペリシテ人で身長約3メートルもあり、鎧、兜、投げ槍などで身を固めているゴリヤテとの戦いの場に入ったことが記されています。その戦いに、ダビテは、服一枚で入り、川からなめらかな石を5つ選び取り、その石一個で、ゴリヤテを倒してしまいました。ペリシテ人の軍人たちは、このダビテの姿に、全能の神の姿を想定したでしょうが、素直に降参できず、逃げ去って行きました。このダビテも、逆境の中にあって、神の存在を証しした例です。
以上のような助産婦や少年たちは、特別な政治家でもなく、宗教家でもなく、普通の人たちでした。ただ、彼らは、神に委ねて行ったのです。私達にも出来る筈ではないでしょうか。ヨセフは、逆境に遭っても、その状況を神に委ねて行くという信仰がありました、ヨセフは兄弟から殺されようとし、エジプトに奴隷として売られ、生死の危険に立たされましたが、神に委ねて行ったのです。そして、「ローマ書8章28節」に示されるように、「神を愛する人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださる」ということなのです。ヨセフも、エジプトの奴隷に売られた時は、17才でしたが、信念をもって、忠実に神と人に仕えて行きました。当時、ヨセフの容姿は美男子でであり、エジプトの侍従長のポテファファイルの妻による嘘の証言で、ヨセフは姦淫の罪人とされて牢屋に入れられました。しかし、ヨセフは、神に委ねて行ったのです。私たちにも出来ないことではありません。
ヨセフは、神の導きに任せ、神の介入にブレーキをかけるようなことはせず、ヨセフは、自分の人生を神の運転に任せ、運転席に神が座って運転されて行く車に乗るような人生を送りました。「創世記39章2節」に記される「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり」という「幸運」とは、運がよいとか、LUCKYというような意味ではありません。この「幸運」という意味は、続く「3節」の「主が彼とともにおられ、主が彼のすることをすべて成功させてくださる」という「成功」と同じ意味です。「イザヤ書55章8-11節」にも、「神のことばは、--−わたし(神)の言い送ったことを成功させる。」と記されていますが、その「成功させる」と同じ意味です。神は、みことばをもって、ヨセフと共にいてくださり、みことばで、ヨセフに介入して下さり、成功を与えてくださったということです。繰り返して言いますが、「幸運」とは、「運がよかった」ということではなく、人の心の内側に入る神のみことばを土台として築かれて行けば、逆境に立たされても、必ず成功するということです。
村上公久先生は、「神を見いだした科学者たち」(いのちのことば社出版)という本の執筆者の一人で、その日本人クリスチャンの科学者3名の執筆者の中の一人です。村上先生は、その本の中で、「人間のことばは空しいが、神のことばは、命があり、人格があり、そのおことばを受けた人は、人格が形造られると、お証しされています。「イザヤ書55章8-9節」に記されるように、「全能なる神の道は、人間の道とは異なり、より高く」、神の崇高なご計画を、私達にみことばをもって見せてくださり、その実現に至らせてくださるのです。
「詩篇105編」には、イスラエルの族長時代からの歴史が、詩的に書かれています。その「詩篇105編19節」には、「主にのことばは彼(ヨセフ)をためした。」ということも記されています。ヨセフは、姦淫をしたのでもないのに、姦淫の罪人にされて、エジプトの牢獄に入れられます。しかし、ヨセフは囚人たちの相談役となり、主人たちが見た夢を解き明かして行くのです。私達は、現実を超えた世界を見ることは出来ず、夢の解き明かしには限界があります。でも、神は、ヨセフと共にいてくださり、神のみことばをもって、囚人たちが見た夢に介入し、その限界を打ち破って、その夢を解き明かしてくださったのです。
また、ヨセフが17歳の頃見た夢は、神がみせてくださった崇高な世界でした。神は、ヨセフと共におられ、エジプトの奴隷という不運の中に置かれた時でも、神から声をかけられ、みことばを戴き、「幸運だ!」という声をかけてくださったのです。ヨセフは、兄たちの上に立って、兄たちからお辞儀をされる立場になり、17歳のヨセフが見た夢のとおりになるまで、ヨセフが待つことを、神はためされたのです。私達は、神の支配の中にあり、私達が、最終的に、神に委ねるまで、神はあきらめずに待っておられ、神の約束のことばが成就するまで、試練に遭っても、神を信じ、神に信頼し、神を愛する一人一人に働き、すべてのことを益としてくださることを、しっかりと心に留めて、日々、信仰の道を歩みましょう。
1月23日(日)聖日礼拝では、マックルア・マーク先生が、「ヨブ記1章1-3節、6-12節」を中心聖句とし、「Perfect Job (パーフェクト・ジョブ)」と題して、英語で、次のようなメッセージをしてくださいました:
最近は、スマトラ沖地震大津波によって、各地に大被害があり、イラク戦では、多くの米兵も戦死し、世界的に犯罪も広がっているというニュースを聞きながら、聖書に記されている「ヨブ記」の話に思いを致しています。「ヨブ記1章8節」には、「彼(ヨブ)のように、潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない」と記されています。
本日の聖書箇所には、サタンが、神からの特別の許可を得て、サタンによって、ヨブの家畜が殺され、ヨブのしもべが殺され、ヨブの5人の娘も、5人の息子も全部殺されました。そして、「ヨブ記」には、サタンと神とのかけひきも見られます。嘗て、エデンの園で、サタンは、人間のアダムとエバを神から引き離しました。では、ヨブの場合には、どんな事が起こったのでしょうか。私たち一人一人の生涯における霊の戦いでは、ヨブと同じように、幸福が狙われています。ヨブにも、ヨブの霊が揺り動かされるような出来事として、娘や息子の死が起こり、ヨブの財産などもヨブから取り去られ、健康も損なわれました。ヨブは、そのような凄まじい損失に出会っても、信仰をもって、そのありのままの姿を受け止め、神に栄光をお返しして行きました。私たちクリスチャンも、富んでいても、乏しくなっても、ヨブのような信仰をもって、ありのままの姿を受け止め、神に栄光をお返しできるでしょうか?サタンが、地上の祝福を奪っても、神の愛には、変わりありません。
私は、最近、小学校5年生から6年生のバスケット・ボール・チームのコーチをしています。昨年のリーグ戦では、そのチームが優勝し、素晴らしい経験をしています。しかし、今年の試合では、そのチームは、5ゲームも負けてしまい、今も、私の指導を受け、励ましを受けていますが、元気を失っています。ある試合中のことですが、私の指導しているチームの8名中5名が、その試合をやめてしまい、コーチの私としては、大変な目に遭いました。でも、私は、そのチームに、負け試合と判っていても、そのチームを励まし、最後まで頑張れと励ましました。
そのチムには、私の長男、リッキーもいます。そのリッキーに、先週、変化が現れました。以前、リッキーは、負けん気が強く、負けると怒るということでしたが、試合に負けても、先週からは、いらだたなくなり、感情をもって憤慨することなく、むしろ暖かい気持ちで、勝ち組と接するようになりました。リッキーは、むしろ、わざと負けて、相手に勝たせることもあるようです。このように、リッキーのチームは、昨年は優勝し、今年は惨敗です。しかし、このように、負けることを通して、人格が形成されて来ており、試練を通しての成長があることが示されました。
「ヨブ記1章12節」に記されるように、サタンは、神の許可を得て、ヨブから地上の祝福を奪い取ったのですが、それでも、神は、ヨブを愛していたのです。ヨブは、家族を失って、心が砕かれ、「ヨブ記1章20-22節」に記されるように、ヨブは、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と、主を礼拝し、罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。皆さんが、ヨブのように、仕事や家族や財産を失ったり、戦争や災害で、命が失われている時、それに対して、どのように向き合って行きますか?私たちは、復活のイエスさまが与えられ、イエス・キリストを信じることによって、義と認められ、永遠の命が約束されるという恵を受けています。このような私たちは、永遠の命をはっきりと意識できるでしょうか?
===この後、3-5人ずつのスモール・グループに分かれました。先ず、「コリント人への手紙第一12章20-15節」、「ヤコブの手紙5章13-15節」、「エペソ人への手紙6章10節、18節」などを、一緒に声を出して読み終えてから、各自、「これまでの生涯を振り返り、自分が失ったもので一番大きかったものは何か?」について、「人やモノを問わず、自分が一番大きく失ったものを、そして、その時の気持ちはどうであったか?」などについて、お互いに分かち合いの時間を、約10分間持ちました。その後、各自が自分の席に戻り、マーク先生から、次のようなまとめのメッセージを戴きました。===
天地万物を創造された神は、ミクロの世界からマクロの世界やエネルギーの世界、霊の世界などすべてを把握されており、熟知されています。「黙示録13章8節」には、「ほふられた子羊のいのちの書に、初めからその名の書きしるされていない者」、即ち、未信者が反キリストに誘惑されて行くくことが示されています。また、「ヨハネによる福音書17章24節」には、イエスさまが父なる神にお願いしたことが記されています。それは、「父なる神が、子なるイエスさまを、世の始まる前から愛し、栄光をくださった、その栄光を、イエスさまの弟子たちが見るようになることを、お願いしたのです。」
神である御子イエス・キリストは、人類の罪の身代わりとなって死んで蘇られ、人類への愛を示して下さったのです。私たちは、そのような愛に気付かない罪を自覚すると共に、この地上で大切なことは、イエス・キリストを愛し、信じ、主イエス・キリストに聴き従い、主の栄光を示すことであるということを、しっかりと覚え、それを実行して行くことです。そして、私たちは、新しい人となって、神に愛されていることを自覚し、感謝し、神に喜ばれる存在であることを覚え、この地域の人々に、福音を伝えて行き、永遠の御国に目を留めて行くように、神の導きをお祈りしましょう。
===続いて、山口光師とマックレラ・マーク牧師の司式によって、聖餐式が執り行われ、先ず、「ルカによる福音書22章19節」、「マタイによる福音書26章27-30節」が、日本語と英語で拝読された後、主・イエスキリストが、十字架で裂かれた体と血潮をもって、神は一人一人と契約を結ばれているので、イエス・キリストを救い主として受け入れた者は、前に出て、聖餐にあずかる様にと招かれました。===
1月28日(金)午前11時から、OMS教団世界巡回伝道師、中野雄一郎師による伝道集会が、光岡宅で開催され、そこに17名が集まり、山口光師の司会によって進められました。その集会の始めに、聖歌#498(うたいつつあゆまん)と聖歌#456(さかえの王にます主の)を歌って主を賛美し、中野雄一郎師は、「申命記7章6-8節」を中心聖句として、次のようなメッセージをくださいました:
私たちは、「神に選ばれた民」であり、「神の宝の民」であり、「神が恋い慕う民」であり、「弱い者であり、悔い改めて自我に死んだ者」であり、「神を中心として、主と仰ぐ者」であることを、しっかりと覚えて、日々歩んで行きましょう。
最後に、「リビング・プレイズ#6(主イエスは十字架の血で)」を、皆で歌い、主イエス・キリストの愛と信仰と希望の恵みに、感謝を捧げました。
1月30日(日)聖日礼拝では、中野雄一郎師が、「ローマ書5章1-11節」から、「人生3つの喜び」と題して、次のようなメッセージをくださいました:
人間は、何に喜ぶかで、人格が決まります。私達に必要な物は、神が与えてくださるのです。そのような物が与えられたことを喜びますが、それが奪われても喜びを持つという、「心の喜び」は、どこから来るのでしょうか?人生の喜びで大切な心の喜びには、3つあります。
その第一は、「ローマ書5章2節」に示されているように、「神の栄光を望んで、大いに喜んでいるという人生」です。私達クリスチャンは、この世の地上を去ることは、しばしの別れであって、さびしいとは思いません。何故なら、十字架につけられ、復活したイエスさまが、いずれ花婿として、私達の前に立ってくださり、私達は、千年王国でイエスさまと共に住むという、明白なビジョンもっており、永遠の命を戴いているという希望をもって、喜んでいる人生だからです。私の娘達も、神のことを話し合いながら、天国の前味を味わっているような会話もありました。私達は、このようにして、今、幸福であるので、過去も幸福となり、また、未来も希望をもった幸福になるのです。最近、米国でベストセラーになった、JOEL OSTEEN著「Your Best Life Now」という本にも、そのことが書かれています。
第二は、「ローマ書5章3節」に示されているように、「患難さえも喜んでいる人生」です。何故ならば、私達に与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれ、患難は忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性をを生み出し、練られた品性が希望を生み出すからです。例えば、子供が病気になっても、その病気の抵抗力、免疫力が出来、活力ある子になるということを覚え、そのような病気にかかった事を喜べるのです。私達に与えられた聖霊の力によって、私達が打ち勝つ力が与えられ、敵をも愛するようになるのです。「ヨセフの物語」にもあるように、ヨセフは夢を見て、夢のように人生を歩み、兄弟から憎まれても、父の溺愛を戴き、喜びの生涯を送ったのです。「ヤコブの手紙1章2節」には、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」と記され、「努力してでも喜びなさい」ということが示されています。聖書には、「喜べ」という命令が、800回も記されています。ですから、私達は、1日3回は、喜びましょう。「喜べば、喜び事が、喜んで、喜び集まり、喜んで来る。」ということです。また、聖書には、「恐れるな」という命令が、365回も記されていますから、私達は、恐れることを止めましょう。「一怒一老」という諺があるように、「一つ怒れば、一つ老いる」ということです。一方、「一喜一若」という諺もあるように、「一つ喜べば、一つ若くなる」ということです。
第三は、「すべてを成してくださった神を大いに喜ぶ人生」です。本日の聖書箇所では、沢山の完了形が使われており、2節の「導き入れられた」、6節の「定められた」と「死んでくださいました」、8節の「罪人であった」と「死んでくださった」、9節の「認められた」、10節の「敵であった」と「神と和解させられた」、11節の「和解を成り立たせてくださった」などの完了形があります。従って、「イエス・キリストを信じた人は、天国に入ったことと同じである」ということを、しっかりと肝に銘じておきましょう。このように、イエス・キリストの過去における十字架による死と復活によって、私達クリスチャンの将来の全てに、恵みが与えられていることを信じましょう。私は、昨年3月に、声がでなくなり、声帯ガンと診断されましたが、「イザヤ書53章5節」に示される「彼(メシヤ)のうち傷によって、私たちはいやされた。」という信仰に立ち、また、家内の熱心な祈りや皆さんの祈りに支えられ、神学校の卒業式の行事を終え、ロンドンやミラノなどへも出張しての御用も済ませ、7月に戻り、8月に病院検査の結果、声帯は健康な色をしており、ガン見られず、その証拠写真も渡されました。少し、症状は残っていましたが、ガンではなく、祈りは、神に聞き届けられたのです。「ヨハネによる福音書14章ー16章」には、キリストの名で祈れば、応えられることが示されています。また、「見ゆる所によらずして、信仰によりて歩むべし」(聖歌539番)という歌があります。私達は、信仰をもって、神の前に出て、主にあって、喜びに満たされて行きましょう。
光岡恭平通信員