2004年5月2日(日)は、家族での聖日礼拝の日で、キッズ・タイムがあり、サンデー・スクール教師のリチャード・ハイデイ姉と子供ら7人も、共に礼拝堂に集り、ハイデイ姉は、その子供らに、次のように話しました:
「子供たちは、聖書のみことばを読み、学び、覚えると、気分がよくなります。」と解説し、リッキー君に、「あなたが暗記した旧約聖書と新約聖書のタイトルを暗誦してください。」と言って、前に招き、リッキー君は、声高らかに、「創世記」から「マラキ書」までの旧約聖書と「マタイの福音書」から「黙示録」までの新約聖書のそれぞれのタイトルを順番通りに発表しました。続いて、ハイデイ姉は、ジェコブ君に、「あなたが暗誦した聖句を発表してください」と言って、前に呼び寄せ、ジェコブ君も声高く、「ヨシュア記24章14-16節」を「NIV」に基づき、全部その通りに暗誦しました。
「次に、皆さん、右手の親指と人差し指とを合わせて、手を握りしめ、10を数える中に、その手を一つずつ開いて行き、それを繰り返してください。このような演技も、子供たちは、10歳頃まで、他人のすることを真似しながら、むつかしことでも、繰り返して同じことをして行くうちに、それが習慣となり、気楽にそれが出来るようになるのです。」
「このように、人のすることを見ながら、それを真似して行き、それが容易にできるようになると、それが習慣となりますが、自分では、その習慣に気付かないことが多いのです。例えば、自分の右手の指と左手の指を組み合わせてみましょう。いつも自然に右の親指が上に来る人と、それが下になる人に分かれてきます。それは、自分では気付かない習慣となった仕種です。また、そのような自然に習慣となった仕種と逆に、右手の親指を下にしたり、或いは上にしたりするということには困難があります。それに慣れるには、何度もそれを繰る返して身に着けて、新しい習慣とするしかありません。」
最後に、ハイデイ姉は、「そのような習慣は”良い習慣”であったり、また、その反対に、”悪い習慣”であったりします。皆さん、”良い習慣”を造って行きましょう。それは、聖書を読んで、みことばを覚えて記憶し、みことばが覚えられるように祈って行き、みことばを覚えることが習慣となるということです。毎朝、毎晩、そのような”良い習慣”が造られてゆくように、神さまに助けを求めてお祈りして行きましょう!」と、子供たちを励ましました。
同日(日)、引き続き、山口光師は、「創世記11章」から、「本当の名誉と不名誉(How do you make a name for yourselves?)」と題し、次のようなメッセージをされました:
当教会は、名前(North County Japanese Christian Church [NCJCCと略す])に[Japanese]という英語が入っていますが、民族を超えた多様性があり、人種、世代、文化、言語なども異なる家族の集る教会です。このようにNCJCCは、多様性のある家族ですが、子供も含め、「主の祈り」にあるように、共に主を仰ぎ、主のみこころが地にもなされて行くようにと祈るグループです。
「創世記10章」には、ノアの3人の息子たち家族の系図が記され、人種や自然環境などが違う多様性が記されていますが、「創世記11章」には、「そのような多様性に共通して一致するもの」も記されています。その一つは、神から同じ形をもらって、神の創造性を受けて造られたということが、共通している一致点です。でも、もう一つの共通する一致点は、「創世記11章4節」に記されるように、「名をあげよう」という内側に潜む欲望という点で、それは、人種を超えて誰でも肉体に持ち合わせている性格で、今でも同じです。
「名をあげよう」という願いは、自分が死んでも、自分が他人に慕われ、自分の名を覚えていてもらいたいという願いです。しかし、神を覚えずに、自分の力によって、自分の名前を覚えてもらうということは愚かな願いです。シヌアルの地(後で、バベルの地と呼ばれた場所)で、ハムの子孫のニムロデは、「主のおかげで力ある猟師となり、地上での最初の権力者となった」ということが、「創世記10章8-9節」に記されています。しかし、「創世記11章」には、天に届く塔(バベルの塔)を建てるという建設を指導した者も、その建設労働者の名前も、何も聖書に記されていません。古代エジプトのピラミッドを建設した人は、イム・ヘテブというエジプトの歴史で有名な、神のような古代技術者ですが、その人の名は聖書に記されていません。また、バベルの塔の痕跡物といわれるものが、イラクにある古代のシヌアルの墓から見つかると共に、その墓からは人骨が出てくるというのです。その人骨は、王が死ぬと、人も生き埋めとなって殉教した人の名も覚えられるようにと、シヌアルの粘土から作った煉瓦に、その王や殉教者の名前が記されているということです。今日でも、自分に名誉が与えられて、その名前が、後世に残るように記されたいと思うでしょう。当時、シヌアルの人も、国単位での名誉を挙げるために、巨大な塔を建てて、世々に伝えて行こうと努力したのです。しかし、その働き人の名は聖書に残らず、黙示録に示す「いのちの書」にも記されませんでした。それは、すべて、神から離れてしまった働きであったからです。
「創世記12章2節」に、「アブラムは、神によって祝福され、名を大いなるものとされる」ということが、記されています。アブラムは、シヌアルにあるウルで生まれて育ち、その時代には、まだ、ノアもセムも生きており、彼の成長過程で、まことの神を、心に刻むチャンスがあったと思います。「創世記9章26節」には、ノアが3人の息子たちに預言した時、セムには、「主の御名がほめたたえるように」というノアの祈りがありました。そして、ノアの信仰が、セムに受け継がれ、セムの信仰が受け継がれて行った子々孫々の名前が、アブラムまで明確に、「創世記11章」に記されていますが、その信仰の源泉はアダムにあったのです。このように、神は信仰の人の名を一人一人挙げて、永遠の書物である聖書に残してくださったのです。ここで、神はアブラムの名を大きく挙げてくださったことを見るのです。その理由は何でしょうか?それは、アブラムは、指導者でもなく、無名の者でしたが、神のみを信じて成長した信仰深い人であったので、神から、アブラハムという名を戴き、世界で有名になったのです。
ここで、「イザヤ書56章2-5節」を開いてみましょう。この聖書箇所から、神がアブラムの名を高く挙げて祝福したのは、次の理由によるのであろうとということが示されます: それは、(1)主の安息日を守り、(2)主の喜ぶことを選び、(3)主との契約を堅く保つということでした。その祝福は、異邦人であろうが、宦官(去勢されて子孫のない男)であろうと関係がありません。あるいは、あなたの生涯で、あなたが、「主は、わたしを主の民から除外するだろう。」とか「私はただ枯れた木で、実を結ばず、子孫もない。」と思うかもしれませんが、あなたが、上記の3つのことを行っている限り、あなたの名は、アブラムのように、永遠に覚えられるでしょう。
以上、纏めますと、「本当の不名誉」とは、「死んで地獄に入る」ということと共に、「地獄で苦しんでも、あなたの名もあなたの存在も永遠に忘れられ、あなたの家族や友人や創造主なる神からも、永遠に呼ばれることがないということです。」それに対して、「本当の名誉」とは、「天国に入る」ということと共に、「神に自分の名が覚えられて、神が、自分の名前を呼んでくださる」ということです。私たちは、(1)主の安息日を守り、(2)主の喜ぶことを選び、(3)主との契約を堅く保つというみことばを知り、それを実行して行きましょう。
5月9日(日)聖日礼拝で、山口光師は、「創世記12章1−3節」を中心聖句として、「主への応答 (Leave and Go)」と題して、次のようなメッセージをされました:
母の日おめでとうございます。あなたがたのお母さんたちや、奥さんたちが、愛と平安のみことばで、主から祝福されますようにとお祈りします。
今日の聖書箇所には、アブラム(後のアブラハム)が、神の仰せに応答して、シヌアルの地のウルにあった父、テラの家を出て、神の示す地に向かって歩き出したということが記されています。私も、15歳の時、このみことばによって、米国にやって来ました。シヌアルの地とは、チグリス川とユーフラテス川との間にある地で、バベルとかバビロンとも呼ばれるようになった土地です。「創世記10章25節」や「創世記11章8節」には、ペレグの時代(ノアの息子セムから5代目の時代)に、バベルの巨塔が崩壊し、ことばが分かれ、生活様式も分かれ、人々は地の全面に散らされていったことが記されています。また、「ヨシュア記24章2節」には、アブラムの父テラは、ほかの神々に仕えていたことも記されているように、セムから10代目のアブラムの時代には、偶像の神々が誕生していたのです。でも、そのような混乱したシヌアルのウルに住んでいたアブラムの時代に、信仰をもったセムは健在であり、セムの系列に入っているアブラムは、セムの信仰を継承して行く者となり、「創世記9章26節」で、ノアがセムに預言したようになったのです。そして、「ヘブル人への手紙11章8節」に記されるように、「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」ということです。これは、盲目になれということではありません。「ヘブル人への手紙11章1節」には、「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と記されていますように、アブラムは、まだ当時生きていたセムの信仰深い生き方を見て、セムの生き方で生きていたのです。信仰は、ノアからセムに継承され、アブラムに受け継がれていったのです。現代の私たちは、イエス・キリストの生き方、即ち、みことばによって信仰が手渡されているのです。私たちは、信仰を盲目的に受けることではなく、感情的にに受けることでもありません。信仰とは、聖霊の導きによって、イエス・キリストのみことばに応答して行くことなのです。アブラムは、偶像礼拝の町であったウルに住んでいても、信仰に立って、主のことばに応答して行ったのです。本日の聖書箇所には、次のように、そのアブラムの神への応答が2つの形で示され、続いて神からの祝福の約束も示されています。
(1)「自分の居場所から出る」: アブラムは、バベルの塔の失敗を見、神からの声を聴き、その声に従って、自分の生活圏から離れ、父の家から出て、それまで自分が第一としていた目に見える物を切り捨てるということとで、先ず、神に応答したのです。また、キリストにある信仰に至っていない人も、今まで持っている物を放棄しないと信仰の妨げになります。アブラムの父、テラも、兄弟のナホルも、信仰の人ではなく、神に従わない人で、アブラムと共に神が示された地に行く途中、ハランで、偶像に心を傾けてしまって、そこに留まってしまいました。でも、アブラムの信仰を理解して神の示す地に向かって共に歩んだ者は、アブラムの妻、サラだけでした。
(2)「主に応答するためにすべきこと」: それは、神に喜ばれることを行い、神の示すことを行うということを、自分の生涯の目標として、その日その日、その年その年を進んで行くということです。アブラムとサラだけは、そのように応答して行き、共に安息日を守り、神に応答する者であったのです。私たちも、そのようにしましょう。「ヘブル人への手紙11章9節」には、「信仰によって、彼(アブラハム)は、約束された地に、他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」と記されています。私たちも、地上での生涯では、神が示される約束の地に到達するという目的が達成できないこともあるでしょう。でも、アブラムも、息子のイサクや孫のヤコブの家族たちと共に、天幕生活をしながら、神がやがて建設してくださる素晴らしい都であるシオンを求めて行ったということも覚えまて進んで行きましょう。神は、その素晴らしいシオンを、私たちのために備え、用意してくだることを信じましょう。「ヨハネによる福音書14章2節」には、「わたし(イエスさま)の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」と記されているのです。また、アブラムは、神の示す天国の都、シオンを心で見て喜び、肉体が弱っても、荒野での天幕生活をしながら、歩み続けたということも、「ヘブル人への手紙11章12-13節」に記されています。私たちの奉仕もそのようなものです。神が用意してくださっている世界を見失ったら、その奉仕も重荷となるでしょう。アブラムは、父テラのような中途半端な信仰には立たず、子々孫々にまで覚えられる存在になったのです。私たちも、アブラハムが全うした信仰の世界を全うして、神の喜ぶことと神が示すことを行って行くことを生涯の目的として、進んで行きましょう。そして、神に対する応答は、1回だけの応答ではなく、どんな状況になっても、神が示すところに応答して、出て行きましょう。結婚式で、新郎新婦が誓約したことは、いつになっても変わらないように、私たちの神との誓約も同じで、「いつも神の示すところにまいります」という誓約を守って行くのです。
(3)「神による祝福の契約」: 「創世記12章2-3節」で、神はアブラムを祝福し、アブラムのような信仰者、イエス・キリストにある信仰のクリスチャンも祝福するという神の約束が記されてるのです。この約束は、新約時代においてもストップすることがない永遠の約束です。アブラムの子孫のユダヤ人は、この地上で寄留する旅人で、教会もそれと同じです。イスラエルには、約580万人のユダヤ人がいますが、それ以上のユダヤが世界に散らばっています。そして、その多くのユダヤ人は、神の約束のものが何であるのかを知らないのです。私たち教会の者は、神の約束のものを知っており、イエス・キリストを通して神の約束のものを受け取るということを知っているのです。イエスさまは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネによる福音書14章6節)と、はっきり示しておられます。ユダヤ人が主イエス・キリストに立ち返って、義の恵に預かれるよう、教会の者たちは祈り、最善を尽くしましょう。そして、すべての主にある民族が祝福され、ユダヤ人も救われることを望みましょう。ユダヤ人の救いがないと、世の終わりがないので、約束のシオンがやって来ません。ユダヤ人が救われるように、皆で祈って行きましょう。また、ここで、個人的な紹介をしますが、それは、新約聖書を、ギリシャ語からヘブライ語に正しく翻訳して行き、いずれ出版することを目指す団体(The Messianic Bible Society; 米国住所: P.O.Box 700, Tulsa, OK 74101-0700; Phone: 1-866-242-5344; Email: info@MessianicBible.com; Website: www.MessianicBible.com)が、その翻訳事業のスポンサーを募集しているということです。それに応募したい方は、そのパンフレットを差し上げます。現在、イスラエル側、ユダヤ人側に立っている国は、米国しかありません。イスラエル、ユダヤ人が、孤児とならないように、神の約束のものを、イエス・キリストを通して受け取って行けるよう、私たち信者と同様に、地上での寄留者であるユダヤ人が、シオンを目指して進んで行けるように、祈り、最善を尽くしましょう。
5月16日(日)聖日礼拝では、講壇交換によって、ゴスペル・ベンチャー教会の前原利夫師が、「ヨハネによる福音書21章1-14節」から、「イエスは、父、シェフ、モデルになられた(The Resurrected Lord, becoming a Father, a Chef and a Model)」と題して、次のようなメッセージをしてくださいました:
私は、今から約10年前に、ゴスペル・ベンチャー教会(英語名:Gospel Venture International Chutch)を開拓しました。その前は、ロスアンゼルス・ホーリネス教会の教会員で、またその約20年間は、OMS北米ホーリネス教団の役員もしており、その間、このランチョ・ラコスタ・キリスト教会やビスタ日系キリスト教会にも訪問したことがあります。現在、私は、自分の時間を60%は、教会奉仕に使い、残りの40%は、仕事に当てています。
本日の聖書箇所には、復活された主イエス・キリストが、ガリラヤ湖で一晩中漁をしたが一匹の魚も獲れなかった7名の弟子たちに、三度目に現われた時のことが記されています。その復活の主は、弟子たちに、父親となられ、シェフ(給仕役)となられ、(朝祷会の)モデルとなられたという3つのことを通して、大切な3つのことを教えておられます。復活のイエスさまが10人(トマスはおらず、死んだイスカリオテのユダも除いて11人)の弟子たちに初めて現われたのは、「ヨハネによる福音書20章19-23節」に記されているように、イエスさまが復活された日の夕方でした。それは、弟子たちが、エルサレムの一郭にある部屋の戸を閉めて隠れていた時で、復活されたイエスさまは、その閉じてある戸から、すーっと入って来られ、「安かれ」といわれ、「聖霊を受けよ」と言われ、また、「愛と赦しの福音伝道の使者となるように」と言われたのです。そして、恐らくそれから数週間後、ガリラヤ湖で、漁師となった7名の弟子たちに、復活のイエスさまは、三度目に現われたのです。一昨年、私は家内と共に、ガリラヤ湖を訪問し、正教師となるための論文として、「イエスによるガリラヤ湖畔での伝道」というテーマで書き上げました。そのガリラヤ湖の東に聳え立つゴラン高原の景色や、ガリラヤ湖畔から眺める明け方の景色は、本当に美しく、復活の主が、ガリラヤ湖畔の明け方、弟子たちに現われた時のことも思い、素晴らしいひと時でした。
さて、その漁師となった7人の弟子たちが、以前、エルサレムにいた時には、イエスさまが十字架で死なれたので、自分たちも殺されるかもしれないとか、牢屋に入れられるかもしれないという不安の中にいましたが、復活のイエスさまに出会って、「平安あれ」といわれ、自分たちの出身地であるガリラヤ湖畔に移ってからは、解放感に浸り、昔の友人や知人とも出会って、苦しかったことや、悲しい思い出なども話したことでしょう。この7人の弟子たちには、イエスさまを三度も拒否したペテロや、復活のイエスさまの傷跡に触って確認するまでは、イエスさまの復活を信じることができなかったトマスのほか、ナタエル、ヨハネ、ヤコブその他2人の弟子でした。プロの漁師であったその7名の弟子たちが、一晩中漁をしても、1匹の魚も獲れず、東の空が明るくなる頃、その弟子たちの舟から百メートル足らずの岸べから、「子どのたちよ、食べるものがありませんね。」という声が聞こえ、「はい。ありません。」と答えたのです。そして、続いて、「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」という声が聞こえてきたのです。その時には、弟子たちは、その声がイエスさまであることに気付きませんでしたが、彼らは、すなおに、従順になって、その声に従ったのです。復活のイエスさまは、弟子たちの信仰をためされたのかもしれません。そして、153匹という魚の大漁があった時、その弟子たちは、目が開かれて、はじめてその声がイエスさまからであったことに気付いたのです。
ペテロは、すばやく上着を着けて海に飛び込み、泳いでイエスさまの所に行き、あとの6人の弟子たちも、大漁の魚を引き上げるのに手間取りましたが、後から岸について、復活のイエスさまに、またお会いできたのです。イエスさまは、その岸べで、火を炊いて、魚を焼き、パンも用意してくださっていたのです。そして、イエスさまは、弟子たちに、父親の役割や、給仕役や、朝祷会のモデル役という3つのことを示されたのです:
(A)「父親となられた」(ヨハネによる福音書21章5節): 一晩中漁をしたが一匹も獲れずに戻りつつ舟の中にいた7人の弟子たちに、復活されたイエスさまは、ガリラヤ湖畔から、「子どもたちよ。」と声をかけられたのです。そのように「子たちよ。」と呼ぶ人は、その子たちの親です。親は、生んだ子、育てた子、神から授かった子のために、何でもしますが、復活されたイエスさまは、弟子たちに、「子たちよ。」と呼びかけ、「食べるものがありませんね。」と、親心を示され、深い同情をかけられたのです。十字架で、人類の罪のために死んでくださり、父なる神の御心のままになされた、御子イエスさまは、復活されて、弟子たちを、「子たちよ。」と呼びかけ、弟子たちの必要なもの、不足しているものはないかと言われたのです。このように、イエス・キリストは、今も、一人一人に声をかけてくださっていることを、しっかりと覚え、感謝しましょう。
(B)「シェフとなられた」(ヨハネによる福音書21章7節): 復活のイエスさまは、子たちである弟子の必要を満たそうとして、シェフとなって、魚を焼き、パンも用意しておられたのです。朝まだ早く薄暗いガリラヤ湖の岸べで、イエスさまは、魚を焼く前に、その魚を洗い、鱗を取り、はらわたを除き、汚れた手を洗い、料理をして、弟子たちを待っていたのです。海に入ったペテロは、ことのほか寒かったでしょうが、イエスさまが炊いてくれた火にあたって、温まることもできました。偉いお方であるイエスさまでも、人に仕える給仕役となって、弟子たちに仕えたのです。リーダーである者は、自分に仕える者の気持ちも解って、一番のろく歩く人の後から歩くということが大切です。「ルカによる福音書22章26-27節」には、イエスさまが、十二弟子たちに、「一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。わたし(イエスさま)は、あなたがたのうちにあって給仕するもののようにしています。」と言われたことが記されており、「仕えるという愛」の大切さが示されています。
(C)「(朝祷会の)モデルとなられた」(ヨハネによる福音書21章12節): イエスさまは、弟子たちに、「さあ来て、朝の食事をしなさい。」と言われました。イエスさまは、弟子たちに「私のために食事をつくりなさい。」とか、「153匹の魚の中から、大きい魚をとって、料理して、残ったら私にもください。」ということも言われませんでした。イエスさまは、弟子たちが何を一番必要としているかを知っておられ、既に朝食を用意して、弟子たちを、その朝食に招いたのです。そして、その食事中、会話が殆んどなく、沈黙でした。イエスさまは、ペテロが、三度もイエスさまを拒んだことも責めることもされず、トマスに対しても、彼の不信仰を責めませんでした。イエスさまは、父として子を責めず、彼らのありのままの姿を抱きかかえるように受け入れ、朝食を用意して、弟子たちを、その朝食に招いたのです。今から69年前、1935年に、ワシントン州シアトルに住む19人の会社役員が集まって朝食をした際、イエスさまが、「さあ来て、朝の食事をしなさい。」と言われた、この「ヨハネによる福音書21章12節」の御言葉に動かされて、毎週木曜日の朝に集まり、シアトル市のために祈り、自分たちの事業のため、また、人種差別がなくなるようにと、祈り合う時を持ち、朝食も共にするようになったのです。このように、イエスさまによる朝食会がモデルとなって、19人によるスモール・グループによる朝祷会が毎週木曜日の朝に持たれるようになりました。そして、そのような朝祷会が、ワシントン州のその他の町にも広がり、サンフランシスコ、シカゴ、フィラデルフィアなどにも広がり、今から62年前の1942年には、ワシントンDCにも紹介され、毎年2月初めの木曜日の朝に、大統領朝祷会が開かれるようになり、ホワイト・ハウスの大統領官邸に、上院・下院両議院も共に集まり、世界各国からの大勢の招待客も集り、超教派での祈りも捧げられ、朝食を共にするようになりました。私も家内と共に、今年の2月5日の大統領朝祷会に招かれましたが、そこには、大統領ご夫妻と世界160カ国から約5,000人の高位の方々が招かれ、日本からも8名の方が招かれていました。そのパンフレットには、1783年6月8日にジョージ・ワシントン大統領が捧げた祈りも紹介されています。
私たちもビジョンを知るように、みことばを読み取って行きましょう。だだ、朝食を食べるのではなく、イエスさまの愛の深さを戴き、イエスさまが弟子たちにシェフとして仕えたように、私たちも人に仕え、もてなして祈って行きましょう。それによって、私たちの信仰生活が豊かに成長して行くのです。日々、みことばを、しっかりと把握して、みことばと共に歩んで行きましょう。
5月23日(日)聖日礼拝では、山口光師が、「創世記13章」から、「悩める義人ロト」と題して、次のようにメッセージをされました:
私たちは、日々、「信仰旅行」をしているのです。旅行には、目的があり、計画があり、実行があります。その「信仰旅行」の目的は、神から、ただのプレゼントとして戴いたシオン(神の国)へのチケットをしっかり握って、シオンを目指すことです。その「信仰旅行」の目的を達成するための計画は、主イエス・キリストにある信仰という備えをもって、みことばであるイエス・キリストに聴き従って行くということです。その「信仰旅行」の実行とは、その目的と計画の通りに、忠実に、日々歩み続け、信仰も成長し続け、シオンに到着するということです。その旅の途中で雨とか嵐とか、危険なことに出会っても、道なるイエス・キリストという最高のルートからはずれることなく、スムースに、御国であるシオンを目指して歩み続けて行くということです。
アブラム(後でアブラハムと命名)は、神である主の仰せに従って、そのような「信仰旅行」を続けましたが、アブラムの兄弟であったナホルはその旅行を拒否し、また、アブラムの父、テラもその旅行の途中で、その旅行の目的を見失ってしまい、その旅行を中断しました。本日の聖書箇所には、アブラムの甥であったロトが、アブラムと共に「信仰旅行」を続けているうちに、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に、争いがあったために、ベテルとアイの間にあった祭壇の地で、るお互いに左右に分かれて旅を続けることになった様子が記されています。
ところで、ロトについては、新約聖書には、2箇所に登場し、「(神は、)--−悩まされていた義人ロトを救い出されました。」(ペテロの手紙 第二2章7節)と紹介され、また、「ロトがソドむから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。」(ルカによる福音書17章27節)というように記されています。更に、「イザヤ書56章4-5節」には、「わたし(主)の安息日を守り、あたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を固く保つ宦官には、--−耐えることのない永遠の名を与える。」ということが示されていることも、しっかりと覚えておきましょう。現在、世界で、ユダヤ人は約1,500万人おり、アブラハムのような信仰を継承したクリスチャンは、約10億人いるといわれています。私たちは、「悩める義人」ではなく、「そのままの義人」として勇ましく歩む信仰者となりましょう。でも、ロトのように、悩まされるという事に遭遇することもあるでしょう。そのような悩まされるということには、どんなことがあったのでしょうか。次に、その4つの事を掲げましょう:
(1)「あなたの霊の兄弟に反ばくすること」(創世記13章8節): ロトは、彼の叔父であり牧師でり、霊の兄弟でもあったアブラハムに対して反ばくしたのです。神がアブラムに約束された契約によって、ロトも地上での沢山な祝福を受け、沢山の家畜も与えられたのでした。しかし、ロトは、神がアブラムと約束された契約を理解せず、悟ることなく、叔父のアブラムから離れることを決めたのです。
(2)「自分の欲のままにヨルダンの低地を選択」(「マタイによる福音書7章13節」、「箴言14章12節」): 恐らく、ロトは、アブラムから土地選択の自由がロトに与えられるように、アブラハムに仕向けたのでしょう。それによって、ロトは、青々としたヨルダンの低地を選び、多くの羊を連れて、そこに行きました。一方、アブラムは、その逆方向にあった、石ころだけの高い丘に行った時に、深い神からのメッセージを戴くのです。アブラムは、高い丘を通って、神によって選ばれた土地である、シケム、ベテル、シャレム(後のエルサレム)とヘブロンに行きますが、これらの土地は、海抜約800メートルでした。それに対して、ロトが欲のままに選んだ、青々としたヨルダンの低地は、それから約千メートルも低い土地でした。ロトは、そのような準熱帯性気候の暖かい低地に住んで喜び、アブラムとの宗教的な喧嘩もない解放感に浸り、バラ色のような明るいと思える生活を送ったのでしょう。でも、実は、それが暗闇になるのです。「箴言14章12節」には、「人の目には、まっすぐに見える道がある。その道の終わりは死である。」と警告されています。また、「マタイによる福音書7章13節」には、「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいて行く者が多いのです。」と示されています。「創世記13章12節」に、「ロトは低地の町町に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。」ということが記されています。そして、ロトは、そのようなソドム人の町の生活、商人生活などのために、羊飼いの生活に見切りをつけたのです。
(3)「罪深い生活に耽ること」: そのようなソドムの町に住むようになったロトは、罪深い人たちの生活に取り囲まれていました。それのような罪深い生活は、嫌らしいものであるのに、徐々に人を引き寄せて行くもので、当時のソドム人の中には、同性愛もあったのです。今の米国でも、同性愛を祝福する牧師がいたり、同性愛がありふれたこととなっています。しかし、同性愛に対する神の見解は変わらず、同性愛は禁止されており(「レビ記18章22節」、「ローマ人への手紙1章26-28節」)、そのような罪人たちが住むソドムとゴモラという2つの町は、天からの硫黄の火によって、悲劇的な滅びに終わったのです。そんな滅びの時にあっても、ロトたちの命は、アブラムの祈りと天使たちに守られて、救い出されたのです。でも、ロトが神と共に歩んでいた時に与えられた財産は全部失いました。またロトの娘の婿は、ロトについて行かなかったために滅ぼされました。また、天使から、「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」(創世記19章17節)と言われていたにもかかわらず、命が救われたロトの妻は、うしろを振り返ったら、塩の柱になってしまったのです。
(4)「神が約束された地(エルサレム)から離れること」: 救われたロトとロトの娘たちは、シデイムの谷の近くの山であったモアブの地に逃げて、そこに住み、神に約束された地に向かうアブラムたちとは離れてしまい、やがて、モアブ人とアモン人の父祖となりました。聖書の「ルツ記」に記されるルツは、モアブ人でしたが、ユダヤ人の義母、ナオミと共に、エルサレム(シャレム)に入って行くことによって、苦悩から解放され、異邦人でありながら祝福を受け、主イエス・キリストの先祖であるダビテにつながる血筋の女となったのです。私たちも、「信仰旅行」で、第一とするものを目の前において、日々信仰の道を歩み、悩める義人ではなく、そのままの義人となって、勇ましく歩む信仰者となって行きましょう。
5月30日(日)ペンテコステ聖日礼拝では、マックルアー・マーク先生が、「使徒行伝2章1-13節」を中心聖句とし、「Hear, See, Speak (聞け、見よ、宣べよ)」と題して、英語でメッセージをしてくださり、それを山口光師が、次のように日本語に通訳されました:
「信仰は聞くことから始まります。」:
(A) 神の臨在を音で表現するとしたら、どうなるでしょう。それは、@ 落葉をさらさらと動かすような風の音ですか?それとも、A 高波のような音ですか?或いは、B 台風が屋根を吹き飛ばすような、激しい音ですか?
(B) 本日の聖書箇所は、今から約2,000年前、エルサレムのペンテコステ(五旬節)の日、上記Bのような激しい風音があったことが記されており、また、一つのところの家に集まって、酔っ払っているような人々の声で、いろいろな国の言葉で話している声も聞こえてきたことも記されています。それは、その家に、イエス・キリストを信じる信仰者が120人ほど集まり、祈りに専念し、神を賛美し、神の臨在を待っていましたが、何の変化もなく、イエスさまが昇天されてから10日間が過ぎようとしてた時に起こったのです。その120人の信者とは、「使徒行伝1章12-26節」に記されているように、イエスさまの12弟子のうち、イエスさまを裏切って自殺したユダの代わりにマッテヤが選ばれて12弟子に加えられ、イエスさまの母やその息子たち、女たちもおり、イエスさまの復活の前後に、イエスさまと出会った信仰者たちでした。その信仰者たちは、イエスさまの昇天前に言われた命令を守り、エルサレムにとどまって、聖霊を待ち望み、地の果てまでも福音を宣べ伝えて行く者として、整えられていたのです。
(C) この五旬節の日は、小麦の初穂を刈り入れ、それを神に捧げる初穂の祭の日に当たり、世界中から、人々がエルサレムにやってきて、それぞれの供え物を捧げて、自分自身も捧げたのです。もし、その時、あなたが、その120名の信者のようでないとしたら、その120人が居る家の外に漏れる音を聞いても無視して、いつものように、生活の場に行ったでしょうか? 或いは又、その家に入ってみて、ガラテヤ人が、日本語、韓国語、英語などで話すのを聞いて驚いたかもしれないでしょうか?
(D) 当時、人々は、初穂の祭の日には、エルサレムに行き、神に喜ばれる捧げ物を捧げたのです。そのように、当時の人々は、神の臨在を覚えながら、主のおきてに聞き従い、主を畏れ敬い、神からの知恵を戴いたのです。来る7月7日から10日までは、サンタ・バーバラで、OMS教団主催の夏季修養会があり、また、8月30日から9月1日までは、アロウヘッドで、当教会のキャンプが、あります。皆さんが、そこに集まって、主の賜物を受け取って行くことを希望します。
「開かれた心で聞き、見なさい。」:
(A) 上記のように、初穂の祭(収穫祭)の日であったペンテコステの日にエルサレムは、雑音だけで混乱しようとしているなどと、後ろ指を指す人もいたでしょう。「ルカによる福音書11章47-48節」には、パリサイ人の先祖が預言者たちを殺し、それを当時のパリサイ人も認めていることが記されています。そのように、当時の宗教家たちは、神を物静かな方と見ており、それ以外の方法では、神の尊厳を認めることが出来ませんでした。そして、そのような宗教家たちは、自分はすべて正しいと思い込み、他人を色眼鏡で見て裁き、「見ざる、聞かざる、言わざる」というように、「見えず、聞けず、言わない」というようになっていました。
(B) 一方、信じる者は、風の音の中に神の声を聞き、炎のような分かれた舌に神を見て、新しい言葉で神を語り始めたのです。エルサレムの一つ所に集まって聖霊を待ち望んで、祈りに専念した120名の信者の中には、イエスさまと3年間位、共に暮らした人や、約33年間も共に過ごしたイエスさまの親族もいました。そのような親族でも、イエスさまの復活前は、イエスさまのみわざを見て、気違いと思い、イエスさまが神であることに気がつかなかったのです。それは、その人たちが、心を開かなかったからです。
「キリストの人格と愛を宣べよう。」:
(A) イエス・キリストは、人々に愛を示したくて仕方がなかったのです。そして人々が、イエス・キリストを信じて、罪と死から解放され、神を愛し、お互いに愛し合うことを切望されたのです。イエスさまは、弟子たちが、主イエス・キリストへの愛に溢れ、主に自分自身を捧げ、人々に救いの知らせを伝えるようになることを切望したのです。
(B) 「使徒行伝2章」には、ペンテコステの日に、ペテロが、人々に福音を伝えたことが記されていますが、そこで、預言者ヨエルによって語られたこと(ヨエル書2章28-32節)が引用され、又、ダビテの言ったこと(詩篇16篇8-11節)も引用され、それらの預言が、イエス・キリストによって成就されたことが告げられ、神の霊やメシヤとしての主についても告げられました。また、イエス・キリストの人格についても、油注がれたお方、聖なるお方、義なるお方、いのちの主、救世主、きよきお方、人の子なるメシヤ、すべての王、生ける者と死にたる者とを裁くお方、などとというように紹介されたのでしょう。
(C)そのようなペテロのメッセージによって、三千人ほどが悔い改めて、イエス・キリストをを信じて、賜物として聖霊を受け、バプテスマを受け、初代教会が誕生したのです。
===この後、2-3名ずつのスモール・グループに別れ、次のようなことを分かち合いました: @ お互いのファースト・ネームの持つ意味と、自分の生き方や性格と重なる面があるかどうか? A イエス・キリストの福音は、自分にとってどのようなニュースとなったか? ペテロが、「使徒行伝2章14-39節」で、他者にしたように、自分の経験をお互いに述べ合いましょう。 B イエス・キリストという名前で、自分が心に思い浮かべる人物がいるか? もしいたら、紹介する。その人物は、自分の生き方にどう影響を与えたか?====
そのスモール・グループの話し合いの後、それぞれ、元の席に戻り、マーク先生は、最後に、次のように締めく括りました:
(A) 嘗ては、イエス・キリストの十字架の福音を聞いたが、信じられぬ人とか、イエス・キリストの復活を信じられず、疑った人とか、地上での命の死と復活なども信じられなかった人もいるでしょう。でも、イエス・キリストの福音を聞いて、イエス・キリストのみことばに聞き従って行きましょう。
(B) ペンテコステの日に、三千人ほどの人が、イエス・キリストを信じて救われたのです。何故ならば、120人ほどのイエス・キリストを信じる信者が、イエス・キリストのみことばを聞き、そのみことばに服従して、エルサレムに10日間とどまって、聖霊を待ち望み、ペンテコステの日に聖霊を戴き、福音を人々に宣べ伝えたからです。特に、ペテロによる伝道の力によって、三千人ほどの人がイエス・キリストを、直ちに信じたのです。
(C) 既に、あなたがたの中にも、福音を1回か2回、人々に伝えたが、失敗して福音伝道を諦めたという人もいるでしょう。しかし、福音を宣べ伝えるということは、信仰者の使命であることを、しっかりと覚え、諦めることなく福音を宣べ伝え、救いは神のなさるみわざであることを覚え、失敗を心配する必要はなく、主のみことばに聞き従って、福音伝道に生きて行きましょう。
続いて聖餐式が、マーク先生の司式で、次のように執り行われました:
(A) 「ヨハネの手紙 第一1章5-10節」に示されるように、私たちは、先ず、自分の罪を告白し、御子イエスの血によって、その罪をきよめて戴き、日々、神と向き合って、光の道を歩んで行きましょう。
(B) また、聖なるお方である主のきよさによって、神と私たちが一つになり、私たちも一つになり、神と和解し、お互いに和解し、イエス・キリストを救い主として受け入れて信じた人は、聖餐を受けましょう。
(C) また、今日、初めて聖餐を受ける人は、最後の列に並んで、山口光師からの祝福を受けてから、聖餐を受けましょう。
(D) 続いて、マーク先生が、「ルカによる福音書22章19-20節」を引用されながら、私たちは、パンと杯を戴き、主の聖餐に預かりました。
光岡恭平通信員