(A) それは、ユダヤ人に聖書を教えている指導者であり、政治家でもあったニコデモは、自分自身が見えてこないという暗闇と向き合い、自分が仕事に追われず自由な夜、また人目にもつかない夜に、人工的な光ではなく、本当の光、主の光を探求する心が起こされ、神が共におられて神のしるしを行うイエスを求めて、主イエス様に出会い、主の光に照らされたのです。
(B) そこでニコデモは、自分のいのちと向き合い、イエス様から永遠のいのちが示されました。イエス様はニコデモに、「人は水と霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネの福音書3章5節)と言われました。「水によって生まれる」とは、「自我を捨て、中心自分の罪を悔い改めて、主イエス様に罪を告白し、主イエス様にきよめて戴き、新しく生まれ変わったいのちを戴く」ということです。また、「霊によって生まれる」とは、「当時、主イエス様に宿っておられ、また、やがてイエス様ご自身の代わりとなって地上に残って下さる聖霊様によって、イエス様を救い主として信じ、イエス様に生命保険をかけるように、自分のいのちを預けることによって、新しく生まれ変わる」ということです。
(C) 当時、ニコデモは、そのような「水と霊による生まれ変わり」を悟ることができませんでした。しかし、ニコデモは、イエスの贖いの死による救いを信じるようになり、やがて、主の僕として、初代教会を建て上げていく者に変えられました。「ヨハネの福音書3章16節」は、彼の信仰の中心にある御言葉であるといえるでしょう。
(A) その賛美とは、永遠に生きておられて、御座についておられる方に、栄光、誉れ、感謝を捧げることです(ヨハネの黙示録4章8-11節)。また、さらに天の御使いたちのように、「ほふられた子羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です」(ヨハネの黙示録5章11-12節)と、感動と喜びをもって、主を賛美することです。賛美は知識ではなく、救いの喜びから奏でられる、心からのメロデイなのです。
(B) パリサイ人で学者であったニコデモは、自分の知識にたより、心に救いの喜びを持たずに迷いがありましたが、イエス様は、彼に声をかけて下さり、一つの道を示して下さり(ヨハネの福音書3章16節)、時間がかかりましたが、やがて救いを確信していった人です。
(C) また、神様はイスラエルの共同体を、嘗て、紅海の水の下を通らせ、信仰に立ちかえらせ、バプテスマを授け、生まれ変わらせました(イザヤ書43章16-17節)。神様は同様に私たちにも働きます。(D) 主は私たちを、海の下に敷かれた道を通らせ、教会をもを生まれ変わらせようとしています。来週の聖日賛美礼拝では、サンデイエゴ日系人教会のイグナシオご夫妻たちによる賛美の時を持ちますが、皆で主を賛美し、自己満足ではなく、神に喜ばれる賛美を捧げましょう。
(A) 神は、アベル自身が心をこめて神に捧げた最良の羊の初子に目をとめられたが、カインが形式的に神に捧げた作物には、目を留められませんでした(創世記4章4-7節)。
(B) 私たちが神に捧げる献金は、お賽銭のようなものではなく、私たちの心を捧げる献身の一つとして神に捧げるもので、その献金は、神に使って戴き、教会を建て上げていくために使われるものです。
(C) イスラエルがダビテ王によって豊かになった後に引き継いだソロモン王の息子たちの時代には、南のユダと北イスラエルに分かれましたが、そのユダのヒゼキヤ王は、軍事力や政治力に捕らわれずに、霊的改革を行い、南北の王国の人々に手紙を送り、エルサレムで主に過越しのいけにえを捧げて主を礼拝することを呼びかけ、その過越しの祭りや、種を入れないパンの祭りがなされました。しかし、そこには、正しい信仰をもたない祭司たちもいましたので、ヒゼキヤ王は、そのためにとりなしの祈りも捧げました(歴代誌下30章19-20節)。その後、7日間の祭りも行われ、また、南北王国の人々も、祭司とレビ人たちに、すべてのものの十分の一の奉納物を山と積んだことが記されています(歴代誌下31章6節)。
(D) 私たちも、献身と感謝しるしとして、喜びをもって、献金を捧げましょう。
(A) イグナシオご夫妻は、1993年に日本から米国に渡り、ベニー兄は、ピアノを教え、勝美姉は、輸出入事業を自分でやり、よい家や車を買おうと楽しみながら仕事をしていた頃の1999年に、突然、ベニー兄が3日間の高熱で伏せ、解熱鎮痛剤を服用しても、熱は下がらず、医者から処方された抗生物質も無効であったので、救急病院でのX線造影検査の結果、片肺が白く映り、直ちに入院し、翌日背中に穴をあけてその肺に溜まった水を約を約1.5リットルも摘出しましたが、まだ、肺に影が見えるため、1999年6月8日に、再手術ということになりました。その時、勝美姉は、二人の子供を抱えて悩みながらも、「もし、その手術が成功したら、主に仕えます」とお祈りしましたが、別の病室にいたベニー兄も同じような祈りを捧げたということです。その手術は、背中を約20cmに亘って切り開き、手術後は15針でそれを縫い合わせた大手術でしたが、成功しました。そして、何時、主にどのようにして仕えるかについて、約2年間祈りつづけ、2001年10月8日の教会キャンプで、二人とも聖霊で満たされ、家路についた時、神から与えられた曲が、上記(1)の曲です。
(B) また、そのベニー兄の手術のため、1999年6月から2ヶ月間は、仕事をすることが出来ず、沢山お未払いが残されました。しかし、次々と献金が寄せられ、神にお祈りしたら、奇蹟も見せて下さり、神は、私たちのすべての必要を備えて下さることに気づかされ、上記(2)の曲も神から与えられました。
(C) そのようにして、2001年10月8日に、神の導きによって、今でもクリスチャンが1%未満で、年間自殺者3万人にもいるという日本に重荷をもちはじめ、その後、日本を2回訪問し、神が与えて下さった曲で、18回のコンサートを通じて、大勢の前での音楽牧会をし、神を賛美し、私たちの献身の証しもすることができ、感謝しました。また更に、その日本訪問の際、勝美姉の両親にも会い、勝美姉の結婚を嫌って9年半も疎遠になっていた両親との和解もでき、これは、神が備えて下さった道であったことに気づかされ、その道は既に、2001年10月8日の教会キャンプからの家路で示されていた、上記(3)の曲でした。
(D) 最後に、上記(4)の曲で、「イエス・キリストを信じて、心の中に迎え入れ、喜びにあふれて主を賛美しよう」と歌って、結ばれました。
(A) サンデイエゴ日系人教会(SD教会)では、1988年以前十数年前から、サンデイエゴ北方地区での家庭集会(SDN家庭集会)が、SD教会の吹上信一牧師、大川道雄牧師、また、その地域の信徒などの「“夢とビジョン”(使徒行伝2:17)」と願いによって持たれていました。
(B) そのSDN家庭集会が、1989年1月に、SD教会の伝道所(SDN伝道所)となることが教団で認められ、その1月末からは、倉野博夫・ジュデイ夫妻宅で礼拝も持つようになり、同年4月からは、Christ Presbyterian Church of Rancho La Costa(CP教会)の会堂・施設を借りての日曜午後1時からの礼拝や水曜集会などを持つようになりました。その礼拝では、吹上信一、大川道雄、仲村ブライアン、藤間ロイ、伊藤スチーブ、瀬川エリック、フレージャー・ダン等の諸先生方からもメーセ-ジをいただき、SD教会をはじめ教団各教会の牧師や信徒の方々の篤い祈りにより、主を愛し、主を求める人々が多く集められていきました。
(C) そのSDN伝道所は、50名程の会員になった頃の1991年9月、教団12番目の教会となることが認められ、“La Costa Japanese Christian Church (LC教会)という教会名で創立され、大川道雄牧師と仲村ブライアン牧師で、日英両語で礼拝を持ち、やがて、洗礼者、転入会者も次々に起こされて、70名、80名の礼拝者になっていきました。
(D) また、1992年末からの願いでもあった「ビスタ地区でも礼拝を」という思いがかなえられ、1993年5月、教団所属のビスタ伝道所(後に、ビスタ日系キリスト教会[V教会]として教団により認可)へと枝分かれされ、大川道雄牧師が、そのV教会とLC教会の両教会を兼牧されました。
(E) 1994年、大川道雄牧師がV教会の専任牧師になられ、LC教会は、SD教会の中尾邦三牧師の監督のもとに、荒川光博神学生のメッセージ、岡村ケン宣教師の奏楽、コンガー・ラリー兄と瀬川エリック牧師の英語ショート・メッセージなどで守り続けられました。また、1994年9月には、LC教会は、州政府によって認可された新しい教会名、“Japanese Christian Church of Rancho La Costa”(RLC教会)になりました。
(F) そのRLC教会は、1995年1月から、RLC教会専任牧師として教団から任命された吹上信一牧師を迎え、洗礼者、入会者も与えられ、希望に満ちた礼拝が捧げられていきました。
(G)その後、1997年に吹上信一牧師は引退され、SD教会の中尾邦三牧師が、RLC教会の監督牧師となって、礼拝を続けさせていただき、霊の糧をいただく中で、1998年7月より、専任牧師として、大倉信牧師を迎えることができました。(“わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです。”[ヨハネの福音書14:18])。この御言葉を握りしめて、祈り続けた私たちに、主はお答え下さいました。2000年の教団新年聖会のホストの奉仕もさせていただき、2001年9月、RLC教会創立10周年の喜びの礼拝と祝会も、感謝と感激の内に行われました。
(H) 一方、V教会にも色々な変化があり、1999年には、大川道雄牧師から山口光牧師へと牧会が移され、RLC教会も、2001年9月の教会10周年祝会の喜びの月の最後の聖日に、大倉信牧師は、2002年1月からSD教会へ転任の任命を教団から受けました。(“- - - 主は与え、主は取られる。主の聖名はほむべきかな。”[ヨブ記1:12])。
(I) 2002年1月から、山口光牧師は、V教会とRLC教会との兼牧になり、元旦礼拝は、久しぶりに両教会合同となり、共に、真の礼拝と賛美を捧げることが赦され、「“力と愛と慎みの霊”(テモテへの手紙 第二1:7)」が与えられました。その後の聖日礼拝では、山口牧師は、V教会を午前に、RLC教会を午後に牧会されれるようになりました。
(J)ところが、2002年3月をもって、V教会の礼拝場所が閉ざされることになりました。そこで、2002年3月31日のイースター礼拝は、RLC教会とV教会が合同してCP教会に集り、心を一つにして、イエス様の復活ををお祝いし、喜びと賛美で、感謝の礼拝と祝会を持つことができました。(“だだ一人、大いなる不思議を行われる方に、その恵みはとこしえまで”[詩篇136:4])。
(K)その後も、RLC教会とV教会が合同で、礼拝・集会を持てるようになり、主は上よりの知恵と勇気と聖霊で山口牧師を満たし、主の通り良き管として用いておられます。(“「さあ、向こう岸へ渡ろう。」”[マルコの福音書4:35])。
(L)そして2002年10月、RLC教会の教会名を、”North County Japanese Christian Church”(NC教会)という、新しい教会名にすることが、州政府によって認可され、また、2002年11月感謝祭の月から、新しい礼拝・集会場所として、”Oak Hills Church”(OH教会)を借りることが赦されました。そこで早速、その11月3日聖日礼拝から、OH教会の会堂で、RLC教会とV教会とが共に新しいNC教会名で一つになって、礼拝を持つことができるようになりました。こうして新しく、サンデイエゴ・ノースカウンテイに、主の御体としてのNC教会が建て上げられました。この地域に顕わされた主の御業は、どんなに大きいものであったかと、主に感謝を捧げ、主の御計画は必ず成ることを確信し、将来、主がなされる素晴らしい御業に希望をもっています。有り難うございました。
光岡恭平通信員